熊本地震第36次派遣(20260412-0413)

派遣報告書

熊本地震第36次派遣(20260412-0413)

◎全体をとおして
 熊本地震から早いもので10年が経ち、見た目には新しい家が建ち並び、益城町の道路は拡張され(熊本地震が発災しなければ拡張計画は頓挫していたと言われている)、町は確かに復興したかに見える。
 熊本空港に降り立つと、現地スタッフが笑顔で迎えてくれた。「お疲れ様です。ちょうど今、ブルーインパルスが熊本城と益城町上空を飛行するので、車を停めます」と空港近くに車を停車すると同時に、見事な飛行が見られた。
 熊本地震10年の関連事業『熊本復興飛翔祭』〜青の翼再び熊本へ〜
聞くと、熊本地震以降の復興イベントで二度目の飛行、そして、操縦士の一人が熊本出身で本日が退官日ということであった。なかなか良い日に立ち会うことができた。
 益城町・集合住宅でのお食事会前には、令和6年10月11日にお亡くなりになられたHさん(益城町3人娘の一人で、私たちの熊本訪問には欠かせないキーパーソンであり、救援隊員がみな可愛がっていただいた)のお宅にお参りもさせていただいた。
ご主人は、Hさん最後の時のことをお話くださり、私もHさんとの思い出を話させていただいた。
 ずいぶん前に記載しているが、そのHさんは炊き出しの際に紙コップではなく茶碗にお茶を入れて救援隊員に振舞ってくださった。
 忙しくバタバタしていたが、何度も勧めてくださったので、私は立ったままお茶をいただき、お盆に茶碗を戻した。
「竹内さん、忙しいのはわかるけどお茶を飲む時くらいは座って飲んだら・・・」とおっしゃり、私は「Hさん、私たちは大阪へ帰ったらいくらでも座れます。でも、ここにはこうやってみなさんのことに全力を尽くしたくて来ていますから、今だけは立ったままでいただかせてください」と言うと、一筋の涙を流されて「ありがとう・・・」とおっしゃった。
 病気に気づき検査を受けるなか、ものすごいスピードで病気が進行し、益城町三人娘の一人Tさんが「大阪の竹内さんたちに知らせようか」と言ったところ、「心配をかけるから絶対に言わないで!」と気丈にふるまわれたが、あっという間にお亡くなりになったとのことであった。
 お食事会では、みなさんがこの10年間のことを話され、なかでもK氏は、仮設住宅にはたくさんの方が来てくださいましたが、やっぱり金光教さんが来られることを皆が一番楽しみにしていて、自分の人生の思い出ともなっています。
 Tさんは、仮設住宅に三年暮しましたが(延長せず三年で仮設を出た)その仮設での三年は辛くて辛くて、それは到底復興と言えるものではなく、やはり仮設を出てからが自分にとって復興の始まりで、ですからまだ7年しか経っていない気がします。
それから最近は熊本地震10年のイベントに呼ばれることがたびたびありますが(このTさんは「四賢夫人記念館」に勤められるほどの博識者)、「あの時は辛かった」という話が多く、なかなか前向きで明日に向かうような話が少ないので、ここまで復興が進んだのだから、みんなで前を向いていけるような話や働きが必要だと思う。などと話された。
 やはり目に見えるハード面の復興は進んでも、ソフト面、心の復興にはほど遠いと思った。
お食事会中みなさんと話すなかで、このたびは能登半島地震の復興に力を傾けていることもあって、熊本地震10年の大きな復興イベントまでの機運が高まらなかったが、やはり私たち救援隊も熊本地震10年の今年に何か注力したい。10年の今年にしか出来ないことを考えていきたいと思い、12月にイベントを開催する方向で考えている。
 残念ながらこのたびは派手なイベントは出来なかったが、今後しっかりと計画を立てて熊本地震復興のお役に立ってまいりたいと思っています。
 以上、熊本地震10年・第36次災害派遣の報告とさせていただきます。
教区の先生方をはじめ、全教信奉者の皆さまには、いつも暖かい励ましのお言葉やたくさんのご支援をいただきありがとうございます。
 引き続きご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
(文責・竹内真治)