能登地震第45次派遣(20260605-0608)西日本豪雨災害第34次派遣(20260613)

20240921能登半島豪雨

能登地震第45次派遣(20260605-0608)

 6月度も能登半島(輪島市門前町浦上地区)、真備町(岡山県倉敷市)にて無事に活動をさせていただきました。
 門前では先月に続いて大好評のカフェ、光キッチン(焼肉丼)を行い、被災者同士が話し合える場の提供で大変喜んでいただいた。前回もお伝えしたように、この地区の方々は能登半島地震の被災地のなかでも、2度の災害(水害も含め)に遭い、やっと仮設住宅での暮らしに落ち着いてきた今、復興住宅建設地となり、再度、他の仮設住宅へ全住民の引っ越しが決まった。
 8月に全住民は4キロ離れた道下仮設住宅に入居することに決まったが、現在約300世帯ある仮設住宅(道下仮設住宅)に移り、また振り出しに戻って人間関係の構築から始まる。
 みなさんに話を聞いていると、やっぱり大変複雑な心の内を窺うことができた。そんななか、私たちがカフェを開き、たくさんの方が来場して情報交換し、最後には談笑され、光キッチン(炊き出し)でお弁当を手渡すと笑顔がこぼれる。
 能登半島地震から二年半経った今もなお大変な状況にあり、本当は「もうしんどい、もう死んでしまいたい」と思っている方がおられるなか、私たちの訪問が力となり、少しでもお役に立たせていただけていることもあると思う。私たちに出来ること、まだまだたくさんあると思いますので、引き続き頑張ってまいります。

西日本豪雨災害第34次派遣(20260613)

 そして6月度は「西日本豪雨災害」の被災地、岡山県倉敷市真備町を訪問した。久しぶりの訪問でみなさん大変喜んでくださり、8年前のことを感謝してくださった。特に地区全体の婦人会の会長をされていたA氏は当時のことを鮮明に覚えておられ、「8年前のあの日、金光教さんが来てくださって、ずいぶんと私たちの生きる糧になったこと、いまだに忘れられません」と話してくださった。
 いまは地域の水路は整備され、「これだけ土手を高くすれば少々のことで溢れることはないでしょう」と申されたが、高い土手に囲われ、ガラッと変わった風景はどこか寂しげであった。そして「当時の女子会(婦人会)も解散して小さな単位での集まりとなっており、当時のような賑わいはない。」とのことで、再来年に迎える「西日本豪雨災害10年」には私たちが何かイベントをして当時のように集まってもらえればと考えている。
 別のお宅では、当時の苦難を思い出しては涙を浮かべながらも、提供した炊き出しメニューの端々まで覚えていてくださり、「あんなの食べたの初めてだったし嬉しかった。本当にあの時はどん底だったけど、金光教さんにだけは励ましてもらった。」と、私たちの訪問を喜び、自家栽培の新鮮な野菜を持たせてくださった。随分と遠慮したが、「今から金光さんの本部に行くならば本部の方にも食べてもらって!」と押し切られていただいた。
 真備町は随分と新しいお店が立ち並び、大型のドラッグストアにマクドナルドも出来た。「8年間も忘れないでいてくださってありがとうございます。ずいぶんと町も変わったでしょう。災害がなかったらマクドナルドは出来なかっただろうから、少しは便利になったのかな。子供だけは喜んでいます」と若い方は言った。
 災害によって町の単位で被災し、数年経てば新しい町が出来上がる。こういうことを繰り返してきて今の日本があると思うが、どこの被災地を見てきても、災害が起こると、命からがら逃げる、そしてしばらく我慢して仮設住宅で暮らし、ある意味ではこれまでのことをあきらめて一から再建していく、5年経ち、10年経つと他の地域の方からは災害があったことさえ忘れ去られていく。
 仕方のないことかもしれないが、少なくとも私たちの活動は信心を土台としている。心に傷を負った人の支えに少しでもなれることを願いとして、たくさんのことを忘れずにここからも頑張っていきたい。
そして、本年は東日本大震災から15年、我々「金光教大阪災害救援隊」発足からも15年の節年でもある。
 前回の報告書に記載のとおり、5月2日の「宗教者災害支援連絡会」でも過大な評価をいただいた今、「金光教大阪災害救援隊」は新しいステージを目指している。具体的には救援隊を「法人化」することを考え協議している。法人化することで社会的な信用が格段に上がり、外部からの支援も受けやすくなり、もっとたくさんの方の力になれると確信しているからである。
どうぞそのことにつきましてもお力添えお願い申し上げます。
 教区の先生方をはじめ、全教信奉者の皆さまには、どうぞ引き続きお力添え、ご支援くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
 簡単ですが、令和8年6月度の報告とさせていただきます。
(文責・竹内真治)