







◎全体をとおして
第31次能登派遣は、二か所にて5日間連続での炊き出しを行った。
初日は、介護保険施設『もんぜん楓の家』にて炊き出しを行いました。楓の家の施設長からは、ずいぶんと前から「浦上地区の方が羨ましい。一度うちの施設でも炊き出しをやっていただきたい」と何度もリクエストをいただいていたが、なかなか日程や予算の調整もできず、引き延ばしてになっていたこと、このたびがご時節と思い計画させていただいた。
この「楓の家」は能登半島地震での被災に加え、9月の能登豪雨でも大きな被害があり、未だ復旧の目処が立たず、施設の半分近くは使うことができない。一瞬にして施設が土石流に飲み込まれ、入居者を命がけで避難させることが大変だったと伺った。
近くを流れる川が氾濫しての被害かと思っていたがそうではなく、裏の山からの土砂流出によるもので、聞いている私も想定外であり、災害とはそういうものだと改めて思った。
利用者(入居者)の皆さんもその時は大変だったと思うが、このたびの炊き出しでは、みなさんも我々の調理場を見学に来られ、「私も若い頃はそういう料理を作ったことがある」などと会話もはずみ、味見をされたりして楽しまれました。
この施設に来て改めて思ったのは、支援が少なかったり、支援が行き届かなかったり、既に終了したりしているところも多く、現地の受け入れ体制や支援する団体によってもばらつきがある。特に災害から時間が経つと支援も薄くなり、仕方ないことではあるが、遅々として復興の進まないこの地域においては難しいところがあると感じた。
その後、門前町浦上地区では4日間の炊き出しを行った。
月に2回予定していた炊き出しを日程の都合上、一度の派遣にまとめたので4日連続となったが、毎日たくさんの方が訪れてくださり喜んでいただくことができた。
4日間の炊き出しでは、暑さと強風に悩まされテントが飛ぶか潰れるかギリギリのところでもあったが、隊員の、どこで覚えたかわからないマニアックなロープワークでテントを縛り付けてあったので、飛ぶことも潰れることもなく作業をすることができた。これも経験値を積んでのことであり、救援隊の成長した姿である。
現地の方々ともずいぶん距離が縮まり、畑でとれた野菜を持ってきてくださったり、いろんな相談事を話されたり、最終日には、雨の降るなか片付けや車への積み込み作業なども手伝ってくださった。
お食事会を開催すると、涙あり笑いありの盛会となったが、ひとりの方が人目もあるなかずっと泣いておられたことが特に印象的で、やっぱり災害というものがこの方々の心に一生消えない傷を負わせているのだと改めて感じた。
私たちにはかけてあげられる言葉もなかったが、私たちの行動をもって、被災した皆さんの心の傷を少しでも癒すことができるのであれば、これからももっと努力を重ねたいと思わせられた。
途中、顔見知りの駐在さん(警察官)が来られたので、ご迷惑だったかと伺うと、そうではなく、「近くに熊が出没しましたので、十分に気を付けてください」とのことで、「熊に怯える」という都会では考えられない経験をさせていただいた。
現地では7月には「浦上祭り」、8月には「納涼祭」が行われ、鎮魂の花火大会も今年は開催される。
少しでも支えとなり、お役に立たせていただけるならば私たちも協力させていただきたいと計画をしている。
以上、「能登半島地震」「能登半島水害」第31次災害派遣の活動報告とさせていただきます。
ご支援をくださっている皆様には、いつも暖かい励ましのお言葉やたくさんのご支援をいただきありがとうございます。
引き続きご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
なお、この活動は「赤い羽根共同募金・ボラサポ」からも多大なるご支援をいただいて行わせていただいておりますことを申し添えます。 (文責・竹内真治)

