令和元年台風19号災害 宮城県丸森町第2次派遣(20200123-28)
○全体をとおして
昨年12月、大阪大学の4回生の女性Yさんと熊本派遣に向かう道中、元気がないように思えたので、「どうかした?」と尋ねた。
彼女は暗い表情を浮かべながら、ポツリポツリと話し出した。
「私が救援隊と関わって一年ちょっとになりますが、この金光教大阪災害救援隊の活動に参加するなかで、自分の心境がどんどん変化していきました。考え方や生き方が180度変わったのです。そうやって自分自身が変わっていくなかで、東京の大手企業に就職も内定し、卒業論文も大詰めを迎えました。卒業論文を書くにあたっても、この救援活動のことを書くとすれば十分な内容もあります。しかし、果たして私はこのまま卒業していいものか。自分は少しでも被災者の方々の心の拠り所になれたであろうか、救援隊の方々のように被災して辛い思いをしている方の手を握ることができたであろうか、救援活動に参加して上部だけを見てきたのではないだろうか、そうゆうことばかりを考え、自問自答する日々が続き、とても悩んでいます」と、最後には涙をぬぐいながら話してくれた。
私は驚いたが、「いやいや、ここまで十分にご用をしてくれたじゃないか。私も頭が下がるほどの働きをしてくれて非常に助かった。どの隊員もそう思っているであろう。だから、そうゆうことは考えないで、ここまで育ててくださったご両親の気持ちなんかをちゃんと考えて、しっかりとした卒業論文を書いて、今までの救援隊にかかわってきてくれた先輩たちのようにトップで卒業しないといけないよ!」と言い、「まあそれでもそんなに悩むなら、今から行く熊本の被災者の皆さんにも相談してみたらいいよ」と言った。
熊本から帰り、年が明けて令和2年1月6日、彼女から連絡がきた。
「11月の真備町派遣、12月の佐賀・熊本派遣に参加する中で、自分にももっとできることがあるのではないであろうかと考え、悩んで悩んで悩んだ挙句、自分なりの答えを出しました。もう一年救援隊に関わって、被災者の方々のお役に立たせてもらいたい。その中でこそ、自分の本当の論文が書けるのではないだろうか。救援活動に参加して、被災者の方々から名前や顔を覚えてもらい、『またきたね』と声をかけてもらえる、その時に初めて自分らしさを論文に込められるのではないだろうか。そう考え、両親や担当教授にお願いをして、もう一年頑張る決心をしました。ですからもう一年、救援隊でお世話にならせて頂けませんでしょうか」との内容であった。
大企業への就職も辞退して、一年間卒業を延ばした。この、私たちの活動に参加するために。
本年最初の活動は、岡山県真備町の下有井公民館からスタートしたのだが、このことを有井女子会の皆さんに話すと、大半の方がハンカチを取り出して涙をぬぐった。
Yさんは目の前の、被災して辛い思いをしている方たちに、どれほどの勇気と感動を与えたであろうか。
被災地を想い、被災者を想う。学生さんではありえないほどの働き、そしてこういう申し出を頂き、救援隊としても大変光栄に思うとともに、私も宗教者として、負けてはいられない。これからも、よい働きが生まれてくるように努めていきたいと思った。
このように令和2年も良いスタートが切れて、今回は岡山からその足で「令和元年台風19号」被害の第二回目となる災害派遣に向かった。
宮城県・丸森町では、私たちが仮設住宅に到着するなり、子どもたちが遊びにきてくれたり、声をかけてくださる住民の方もおられた。現地では、「みちのくボランティア隊」から、4名の方が支援に駆けつけてくれ、また、前回報告書に記載したように、地元の高等学校の教員と生徒が活動に参加してくれた。地元の高校の教員K氏は、流石に教員なだけあり、仮設住宅に住むその高校の卒業生などとも知り合いであったり、方言を交えながら、地元の方との間を取り持って下さった。炊き出しのメニューは、救援隊名物の焼肉丼と特製カレーライスであったが、どちらも盛況で、「おかわりをしてもいいですか」と取りに来られる方もあった。その場で一緒になった方々が「ここに住んでいたのね」と会話される場面もあり、さっそく少しでもお役に立てた気がした。
今回は、金山仮設団地と町西仮設団地の二箇所で炊き出しを行ったが、町西仮設住宅には集会所すらなく、住民同士のコミュニティすらままならない状況がある。支援も少ないとのことなので、今後継続して訪問していきたい。また、役場の方から「支援が少ないところに是非お願いしたいのですが、救援隊の炊き出しの規模を考えると、住民の数が少ないので大変申し訳ありません」と言われていたが、私たちは支援の少ないところに行かせて頂くことこそ本望である。
丸森町では、役場の職員の方々も休日返上で町のために仕事をなさっていたり、夜遅くまで仕事をなさっている。休日にはボランティアに行かれる方もある。そういう姿を見て、我々救援隊はさらに尽力させて頂きたいと思った。また、全日程ご用が出来難い高橋隊員は、大阪での出発時の積込み、さらに最終日に東北へ現地入りし、帰路の運転、道具積み下ろしと、日帰りでご用してくださるその働きは大きな支えとなっている。
今後ともご支援・ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。