令和8年熊本地震第1次派遣(20260817-0823)

20260728令和8年熊本地震

令和8年熊本地震第1次派遣(20260817-0823)

●令和8年熊本地震・第1次災害派遣を遂行した。
初日は午前11時に出発したが、熊本にはやはり夜遅く到着した。やっぱり熊本は遠い。
現地避難所(鏡コミュニティーセンター・八代市鏡町)では、県会議員の高野氏が窓口となり、打ち合わせを重ねるなかで、「やっぱり夕食の炊き出しが全くなくて、アルファ米(お湯を注いで食べる食料)などを食べている」とのことで、私たちは夕食の炊き出しでお役に立たせていただくこととした。
大阪から発ったメンバーは、菱田隊員(東京・向島教会)と私の二人(現地は宿泊費もかさむため)であった。
 避難所情報によると、鏡コミュニティーセンターでの避難者は多くて150名とのことだったので、「150食の炊き出しならば二人で十分」と話し合って向かったが、ふたを開けると初日でも250名の避難者が炊き出しを求めてやってきた(避難所以外にも自宅避難者や車中避難者が多数)。
 ところが、10年前の熊本地震にて獲得したスタッフがどんどんと支援に駆けつけてくれて、最低でも4名、多い日だと7名の隊員で活動を行うことができた。今となっては、本当に凄いことであると思わせられる。
 4日間の炊き出しでは、噂を聞きつけた避難者が毎日毎日増え続け、4日目には350食でも足りないくらいであった。聞けば、「犬を飼っているので車中避難をしています」「家が倒壊しそうなので車で寝泊まりしています」「自宅の中がめちゃくちゃ散乱した状態で過ごしています」「電気もガスも水道も使えません」「全く食べるものがありません」などと、本当に酷い状況のなか、電気も来ていないので冷房もつけられない状況で酷暑の中避難している方々が炊き出しを取りに来られており、とにかく隊員で出来る限り、食材も買い足しながら作って配り続けた。
 実際の想定とはほど遠いほどたくさんの食数を提供したが、その姿に県会議員の方も町づくり協議会の会長(現地の重役)も、「我々もしていただくだけではなく、なにか協力したい」と発電機やスポットクーラーを持ってきてくださったり、頑丈なテントを貸してくださったり、毎日朝昼夜と困りごとがないかと聞きに来てくださって、関係性を築くことが出来た。
酷暑のなか、テントで調理をする姿を見て、被災者の方々は感激しておられ、口々に感謝のお言葉をいただきました。少しでもお役に立たせていただくことができたと思います。
また、「くまモン」が避難所に来た際には、私たちのテントにくまモンを差し向けてもくださり、「くまモン」や熊本県の職員からもお礼の言葉をいただいた。
 最終日(炊き出し4日目)の夕方、活動を終えたので帰る挨拶をと避難所に入ると、避難者の方々からお礼を言われたが、その際、被災者の方が八代市の職員に「私たち明日からの食事はどうなるのでしょうか?」と尋ねる場面があった。
 職員の方は一瞬言葉に詰まられ、「大丈夫です。アルファ米もありますし」とおっしゃり、被災者の方が「おかずは何かあるのですか?」、職員「缶詰がありますから・・・」という場面があった。
「残れるものなら残りたい」と思ったが、食材も使い切り、どうしても一旦帰阪して体制を整えなければ私たちもどうしようもなかったので、「来月も必ず来ますから」と励ましてお別れしてきた。それほど逼迫した状況が被災地にはある。
 正直、最初に記載したように、現場はいつ誰が倒れてもおかしくないほど暑く、汗も乾ききってしまうほど酷い状況にありますが、未だ解体も始まらない現場、今まで住み慣れた家を失った方々、途方に暮れている姿を見ると、私たちの苦労などたいしたことではなく、次回に向けてもっともっと頑張らねばならないと思っています。まずはここまで、第1次派遣の報告といたします。
 なお、救援隊のインスタグラムの再生回数が5万回を超えるなど、社会からも大いに認識されるようになってきていますので、「金光教大阪災害救援隊」のホームページやインスタグラムもご覧ください。
 教区の先生方をはじめ、全教信奉者の皆さまには、どうぞ引き続きお力添え、ご支援くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
 簡単ですが、令和8年8月度の報告とさせていただきます。
(文責・竹内真治)