〇第7次派遣写真
〇第8次派遣写真
〇全体を通して
5月度も2度の派遣を遂行させていただくことができた。
支援先の避難所「門前町浦上公民館」の避難者は当初百数十名おられたが、5月末をもって全員、仮設住宅に移り新しい生活が始まったが、ここからが新たな大変な生活の始まりでもある。
残念ながら仮設住宅に移ってすぐにお亡くなりになった独居老人の方もあり、やっと集団生活の避難所から出られたのに残念なことである。私たちの炊き出しも何度も食べてくださった方でいたたまれない気持ちになる。御霊の道立てを祈りたい。
活動においては、避難所(5月末まで)、仮設住宅、自宅避難の方々とはずいぶんと関係性が深まっており、復興が遅れているこの地に足しげく通っていることにより、「また来てくれたの!ありがとねー」「お帰りー!」と言われる救援隊のいつものパターンができてきた。
第7次派遣では新たに大阪大学から選りすぐりの精鋭が参加された。とにかく元気で明るくて体力もあり、少数精鋭で取り掛かっているこのたびの能登半島地震派遣においては強い戦力となり、前回の報告書で紹介した大阪大学出身の武内真里奈隊員、同じくその後輩の尹慧浄隊員に続いて次期エース候補になってくれることであろう。
第8次派遣では、オムライスや皿うどんを提供し、リクエストも受けながら毎回違うメニューを出す我々救援隊に対して驚かれる方が多くあった。提供する料理のこともそうだが、気持ちの上でも被災者の方々は我々の訪問を楽しみにされており、少しでも心の癒しになれてきたと思っている。
二日目の昼頃、運転手付きで炊き出しを見に来られた方があった。
「総務大臣政務官」衆議院議員・西田昭二氏とその秘書の方、それから石川県議会議員・宮下正博氏であった。どちらもこの地区出身の議員さんで、名刺交換の後、さっそく仮設住宅を一軒づつ回って様子を伺い意見や要望を聞いておられた。
ちょうど昼食の時間で(どこも被災しているため近隣には食事を摂るお店などない)、ささやかではあるが私たちと同じ食卓を囲んで昼食を摂りながら、私たちの活動についても尋ねられ、これまでのことを話すと大変感激され、感謝された。
私自身もたくさん質問をして意見も述べた。なかでも、「外部からの支援を取り付けるためには宗教という枠を超えて行政や各機関からの理解が必要なので、そのような枠を取り払って今後協力していただきたい」と言うと、「もちろんです!どうぞ私の名前を出してください、使ってください。皆さんのような方々が能登半島地震復興の大きな力になっていることを実感しています。この土地の方は人も良いですから、ぜひともみなさんの第二の故郷として末永くお願いします」と言われた。よいタイミングですごい人と繋がることができた。
そしてこのたびから、地区の代表者のご厚意で我々のテントやテーブルなどの資機材を倉庫に置かせてくださることとなり、帰りは久しぶりにバックミラーで後方を見ることができた(いつもは荷物が一杯で後ろは見えない)。
代表者の方は「もともとは見ず知らずの私たちのために、遠い大阪からこのように何度も来てくださって申し訳なく思っています。甘えてしまっていいものかどうかと思いますが、大変感謝しています」とお礼の言葉もいただいているが、報告するように、被災地の状況はなかなか好転せず、私たちの活動が少しでも被災者の方々のお力になれているならば、しばらくは月2回の派遣で頑張っていきたい。
教区の先生方をはじめ、信奉者のみなさま、ご支援をくださっている企業や一般の皆様には、いつも暖かい励ましのお言葉やたくさんのご支援をいただきありがとうございます。
引き続きご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
(文責・竹内真治)