令和元年台風19号水害 先遣隊派遣(10/21-25)
○全体をとおして
「令和元年台風15号」は関東に上陸した台風では過去最大規模になり甚大な被害をもたらした。その後、10月12日ごろ上陸した「令和元年台風19号」は15号よりも広範囲に被害をもたらし、各地で洪水や土砂崩れ、河川の決壊が相次ぎ、88名の死者、7名の行方不明者を出し、「非常災害」「激甚災害」に指定された。
救援隊としては21日から先遣隊を派遣して現地の調査を開始し、今後の支援活動について考えている。まずは先遣隊について報告する。
21日早朝に出発し、長野県→栃木県→福島県→宮城県と順番にまわる予定として、まずは長野県を目指した。
手がかりとして、長野県・上田教会を目指した。午前5時に大阪を発ち、途中打ち合わせをしながら午後には長野入りすることができた。実際に長野までの所要時間は6時間程度である。
上田教会で須賀院先生に状況を伺うと、上田市よりも長野市の方面の被害が酷かったので、そちらに向かうべきと教えてくださり、すぐに踵を返して長野市に向かった。
現地の状況はやはり酷く、津波が襲ったかのように、車や家屋が破壊されて流されたり、辺り一面から水も引かず、いまだ足を取られるほどの泥に覆われているなど厳しい状況であった。
避難所の把握や行政との連携を考え、長野市役所と長野市社会福祉協議会を訪問し、避難所の位置、状況などを聞いた。「刻々と状況も変わるため、どうぞ実際に現地を見て回ってください」とのことであったが、初日は日没のため、一か所だけ避難所とボランティアセンターを訪問した。一般ボランティアも大勢訪れており、すでに大掛かりな作業が開始されていた。真如苑「サーブ」がボランティアセンターの運営に協力をしており、初動の早さに感心した。
二日目は、いち早く現地に入っていた大阪大学の稲場教授やNVNAD(日本災害ボランティアネットワーク)寺本理事、熊本地震でお世話になった崎浜氏(仕事を休んでボランティア活動を行っていた)も現地入りしており、合流して情報交換をした。
彼らの作業現場は長野市津野という地区にあり、ちょうどメディアでよく流れていた穂保地区のそばにあるお寺で、一番被害が甚大な地域であった。
この地区は千曲川の氾濫によって、一気に水が押し寄せたことによる被災で、水圧によって何百メートルも流された家屋があったり、車などはそこらじゅうにひっくり返っていた。リンゴ畑もたくさんあったが、ことごとく落ちて辺り一面に転がっていた。木に残ったものも泥をかぶっていて、出荷できるものはないとのことであった。
被災の調査もしつつ、二日目は長野県北部にある13か所の避難所をまわり、避難所ごとの特徴や避難者数を把握してまわった。職員の対応もまちまちで、門前払いされることもあった。
大雨警報が発令されていたが私たちは雨にはかからなかった。しかし、千曲川の上流で大雨が降っており、氾濫危険水位を超えたため、一斉に携帯電話から避難警報が流れ、避難所は人で溢れた。
長野県で多くの時間を費やしたので、栃木県の調査を断念し、三日目は福島県の調査に向かった。福島県では、大きく被災した伊達市にある保原教会を頼った。
災害直後、伊達市の浸水被害がメディアで大きく取り上げられていたので、何度か保原教会の高橋環先生(福島県・保原教会在籍、現・東北教務センター職員)に連絡をしていたが、「福島に来られるなら被災地の案内をさせていただきたい。東北教務センター所長も快く、大阪災害救援隊が来られたら案内してくださいとのことです」という申し出をいただき、お言葉に甘えて福島県・伊達市や宮城県・丸森町の被災地を案内していただいた。
土地勘のない私たちが二県にわたってスムーズに調査を行えたのは高橋先生の案内があったからである。東日本大震災以降、復興祈願祭や年祭、被災地での会議など、ことあるごとに私は救援隊の代表で、高橋先生は「みちのくボランティア隊」の代表で、いつも隣の席であった。まさかの災害であったが、こうやって連携して活動を進められることを非常にありがたく思った。
福島県・伊達市の被災も悲惨な状況であり、梁川町大町地区は阿武隈川の支流である塩野川が溢れて町が水に浸かった。自衛隊が急ピッチで作業を行っていた。浸水して使い物にならなくなった家財道具を家の前に出してあったが、思い出の詰まったものばかりに見えた。スーパーも銀行も閉店していた。
宮城県・丸森町の状況も酷く、長野県と同等であった。町の中を流れる新川が目視で2か所決壊しており、丸森役場も160センチの高さまで浸水したと聞いた。
断水で自衛隊が給水を行っており、避難所は10か所に及ぶ。津波の時のように一階が被災した家の二階で暮らす方も多くあった。
最終日は宮城県の調査に向かったが、石巻市渡波地区が同じように浸水の被害に遭っており、ボランティアセンターが立ち上げられ、多くのボランティアが活躍していた。東日本大震災で被災したH氏は宮城県・富谷市にお住まいで、近くの吉田川が氾濫した。自宅は少し高台で助かったが、畑が全滅したとガッカリされていた。
全体的な印象としては、千曲川と阿武隈川の氾濫。特に千曲川、阿武隈川の本流よりも支流が氾濫した箇所が多く見受けられた。
強いて言えば、支流のバックウォーター現象による氾濫。これは「平成30年7月豪雨」にもみられた現象で、その多くは二つの原因からなるものだとされるが、ひとつは、急激な水位の上昇で、本流の水かさが増え、支流からの流れ込みよりも本流の水位が高く、そこに支流の流れがぶつかって逆流し、結果その逆流した水が行き場を失くして土手を越えて外に溢れ出す。ふたつめは、川幅が急激に細くなっていく場所で水が行き場を失くして溢れ出す。簡単に言えばこの二つの現象をバックウォーター現象と言い、今回の台風被害がもたらす多くの被災箇所でこの現象が見られた。
そして、このたびの先遣隊で見てきた一番の難点は、広範囲に被災が及んでいるため、ボランティアの数が圧倒的に不足しており、支援が全く足りていないという印象を受けた。
長期戦になることを見据えて、今後、私たち救援隊も支援先を絞り込んでなにかお役に立たせていただきたいと願っている。
これから冬に向かっていくが、寒い避難所生活、不便な仮設住宅生活と、被災者の方々はたくさんの苦労を強いられることになる。
私たちはなんとか少しでも、この方々の心が安らぐような働きをしていきたい。東北でも熊本でも真備町でもしてきたように、ここから頑張って続けていきたいと思う。
以上、「令和元年台風19号」における先遣隊の報告とさせていただきます。
教区の先生方をはじめ、信奉者のみなさまには、いつも暖かいはげましのお言葉やたくさんのご支援をいただきありがとうございます。ここから頑張って被災された方々のお役に立ってまいりたいと存じますので、どうかご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
(文責・竹内真治)
※なお、先遣隊帰阪後のミーティングでは、今後の支援の活動拠点を宮城県・丸森町に置き、みちのくボランティア隊とも連携して活動を行うことができればと考え、年内の始動を計画している。