平成30年7月豪雨災害 第21次派遣(9/24-27)
○全体をとおして
ここまで、5月の第十次真備町派遣から9月の第21次真備町派遣までの12回の派遣(14回の炊き出しと6回のカフェ)について、赤い羽根共同募金のボランティアサポートという支援を受けて活動することが出来た。
これまで、なかなか教外からの支援を受けるということは難しかったが、活動が新聞やテレビなどのメディアで取り上げられたり、一般の大学から講師に呼ばれるようになったりと、金光教大阪災害救援隊の知名度も少しはあがり、一般社会からも徐々に認められてきたと思う。
そして、隊員も一生懸命に取り組んでくれたり、大阪大学が協力してくれていることや本部職員が積極的に参加してくださったことが、ここまで「平成30年7月豪雨」の活動を展開出来てきたことに繋がると思う。
赤い羽根募金の支援を受けられて本当に嬉しかったし、そのぶんお役に立つことが出来たと思う。
実際、我々の活動は、写真で簡単に見えるほど楽ではなくて、正直言えばしんどいことしかない。
派遣が決まると、一週間くらいかけて抜かりないように買い出しをする。調味料一つ足りなければ十分な炊き出しは成り立たない。
そして現地に立てば、最低100人分以上の食事を時間制限アリの一回勝負で作る。経費的にも時間的にも失敗は許されない緊張感がある。
冬は厳しい寒さが待っており、夏は想像を絶する温度のテント内での調理となる。雨の日もあれば風の強い日もあり、テントが飛ばされそうになったこともしばしばある。
衛生面には一番気を使い、不備があれば上長であっても厳しく注意をする。(もちろん上長から衛生面に一番気をつけるよう言われてのことである)
初めて来た参加者が続かなかったり、隊員が辞めていくのも無理はない。実際、感想を聞くと「想像を絶するしんどさでした」と皆が口を揃えて言ってくれる(笑)
そんななかでも、だんだんと強者が出てくる。
何度か紹介してきたが、塚本一眞隊員(今治)や園田奈津美(金子)、三好和子(本部)、尹慧浄(阪大)、この方たちは正直バケモノだと思う。
どんなにしんどくても、絶対に笑顔を絶やさない。
そのおかげで、調理場も明るく、失敗した記憶もない。「怒りながら料理をしたりイライラしながら作ったら、おいしくなくなる」と聞いたことがあるが、そういうことは一度もなかった。
そして、そのみんなの気持ちのこもった働きが真備町でも喜ばれてきた。
この9月をもって、一つの拠点(仮設住宅)での炊き出しが最後となり、撤退の情報を知った方々が順番に挨拶に来てくれたが、「いろんな支援をもらったが、この炊き出しが一番嬉しかった。みんなもそう思っていると思います」「ほかの炊き出しには参加しないが、この炊き出しだけは参加したかった」などと称えてくださった。
お世辞も含めて嬉しかった。少しでも力になれてきたことを確信している。
そして、片付けも終わりかけたころ、一人の少年がやってきて、手紙をくれた。
「おいしいごはんありがとうございます。また会いたいです。ぼくもがんばります。お兄ちゃんもがんばってね。○○○より」と書かれてあって、自分の似顔絵と、我々の制服であるクマモンの絵が描かれてあった。
我々にとっての勲章をもらった。涙がでた。
なによりも嬉しかった言葉が、「ぼくもがんばります」と書かれてあったことであり、そう思ってもらうための活動である。
寄り添って、寄り添って、寄り添っていくなかで、「よし、がんばろう」という気持ちになってもらえるよう尽くしてきたつもりである。
本当に良かったと思う。
これも、教区の先生方をはじめ、信奉者の皆さま、ご協力くださる皆さまの支援があってこそのことであると思うし、このたびは、赤い羽根共同募金のボランティアサポートに大変お世話になりました。
本当にありがとうございます。
今後も支援活動は続いてまいりますので、どうぞ皆さまにはご支援を賜りますようお願い申し上げます。
9月度の活動報告とさせていただきます。
(文責・竹内真治)