平成30年7月豪雨災害 第10次派遣(5/12-5/16)
○全体をとおして
このたびの「光キッチン」には、大阪大学、本部職員はもとより、熊本から小崎氏親子が駆けつけてくれて活動を行うことができた。
小崎由衣氏(親子の娘)は、前にも話したように「熊本地震」の被災者でありながら熊本県・益城町にてボランティア活動を行っておられた。その現場で私たちと出会い、我々救援隊の活動に共感して、その日から毎回、私たちが熊本に行くときには仕事を休んで参加してくださっている。
また、「熊本地震」のボランティアだけでなく、「熊本地震のときには全国のみなさんにお世話になりました。その恩返しが少しでもしたいです」と、東北の被災地に二回参加し、このたびの真備町派遣にもこれで二回目の参加となる。
その働きは言うまでもなく、次に何が必要でどのように動けばよいのか、すべて把握してくれており、頼りになる存在である。
「熊本からは遠いから無理しないでください」とは言っているのだが、「前に来た時に、また来ますからお元気でいてくださいと仮設団地の方々と約束をしたから、ご迷惑でなければ参加させてください」ということで、全額自費で参加してくださっている。
帰りがけには、「初めて車を自分で運転してきて、大阪から車で来てくださる隊員の方々の大変さを身をもって感じさせてもらいました。本当にありがたく思っています。また来ます」と言って帰られた。
被災地では、少しづつ落ち着いてきた感があり、新たなフェーズを迎えているように思う。だんだんと人間関係も構築されていき、我々の行う「カフェ」や「光キッチン(炊き出し)」で、溜まったストレスを吐いてくださるようにもなってきている。
知り合ったAさん(仮名)は、被災したときのことを始めて話してくださった。
「実は私も迫りくる水から自宅の二階に避難しました。二階まで水が押し寄せ、最後はベランダに出ましたが、そこにも外から水が攻め込んできました。一瞬、水圧で体が軽くなったと思ったら、ベランダの手すりを自分の体が乗り越えていました。。。流される!!と思ったとき、誰かが自分の手首を掴んでくれました。息子でした。。。息子は、その掴んだ手を離さず、ベランダの手すりに自分の腹部をあてたままじっと耐え忍んでくれました。ようやく引き上げてもらったとき、息子の肋骨はバラバラに折れてしまっていました。命を助けられました」
という話であった。
親子の愛とか絆とかそういう類の話ではなく、壮絶な生き死にの話であると感じた。実際、命は助かったが家は失っている。話してくれたご婦人も、炊き出しの食事を食べながら涙を流し続けた。その後「これからどうなるのかと思うと毎日が不安で辛いが、こうやって自分たちのことを忘れずに来てくれて、こんなにしてもらって本当に嬉しい」と話した。
やはり私たちの立つ現場にはこういった話ばかりがあり、悲嘆に暮れる被災者の方々に寄り添っていける我々でないといけないと思う。
「また来てくれたんだね」と喜んでいただけるような「寄り添いの活動」を今後も展開していきたいと切に願う。
教区の先生方をはじめ、信奉者のみなさまには、いつも暖かい励ましのお言葉やご支援の数々をいただき、ありがとうございます。このたびも、事故や怪我もなく活動を終えさせていただき、真備町の被災された方々に喜んでいただくことができました。今後とも、ご支援のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。 (文責・竹内真治)