平成30年7月豪雨災害先遣隊、第1次派遣(2018/7/18~22)

派遣報告書

平成30年7月豪雨災害先遣隊(2018/7/18~19)

平成30年7月豪雨災害 第1次派遣(2018/7/20~22)

○全体をとおして

 平成30年6月28日から7月8日頃にかけて、台風7号、梅雨前線に伴う集中豪雨が西日本を中心に襲った。土砂災害や河川の決壊により220名以上の方が犠牲になった。のちに気象庁はこの災害を「平成30年7月豪雨」と命名している。
救援隊としては、7月10日に白神隊長が単独で真備・総社地区の視察に入ったが、この時点ではまだボランティアセンターも開設されておらず混沌とした状態であった。

 改めて、現場状況を把握し、我々に出来る支援の方途を探るため、7月18日から先遣隊を派遣した。
先遣隊には、竹内、高橋隊員が大阪から出発し、本部職員の河合、福間教会の手島が道の案内も兼ねて参加した。河合は本部職員であるが、浅口市より依頼を受けて、毎日数名の本部職員が浅口市の被災地へのボランティアに派遣されているうちの一人であり、事情に詳しく、また、浅口市の社会福祉協議会(以下、社協)との太いパイプも持っていたため、我々と社協をつなぐ働きもしてくれた。
本部を出発の後、我々はまず総社を目指した。渋滞が酷く、全く進めないと聞いていたので、単車と自転車を積んでいったが、渋滞を交わす裏道を案内してくれたため、割とスムーズに総社に入れた。

 総社教会にて様子を伺うと、森定先生は土砂に流された物の洗浄作業や写真の洗浄作業をなさっておられて、総社近辺の状況を教えてくださった。写真の洗浄については、東日本大震災以降、西近畿教務センターがボランティアをなさっていたことを思い出し、西近畿教務センターに連絡を入れると、即答で写真洗浄のボランティアを受けてくれた。

 被害の酷かった真備町の中心地、尾崎地区、有井(ありい)地区、箭田(やた)地区を訪問すると、高梁(たかはし)川の支流・小田川などの堤防が決壊したことにより、住宅街であったが二階まで土砂が流れ込んだ。この地区だけで50名以上の方が命を落としたと聞いた。
さまざまな物を巻き込んだ土砂が数千軒の家の中に流れ込み、そのなかには下水なども含まれる。水害の後は猛暑となり、流れ込んだ土砂が乾きつつあったが、近辺の埃や匂いがきつく感じられた。

 ボランティアセンターも各地区に設置され、毎日、それぞれが「泥出し」などの作業に大勢のボランティアを送り込んでいるが、それでもまったく人が足りていない状況であった。
 建物の一階にあった家具や家電製品はことごとく使えなくなっており、至る所、空き地などには大量に山積みになっていた。それは、東日本大震災を彷彿させる量であった。

 我々は、得意とする「炊き出し」でお役に立てるかと思っていたが、連日の猛暑により、13日の時点で行政より「炊き出し」ストップがかかっており、各ボランティアの「炊き出し」班は中止を余儀なくされていた。それでも炊き出しを行っているボランティアもあったが、猛暑や衛生的な環境を考えると危ないと思った。

 最大級の物資配布所は「真備総合運動公園」にあり、自衛隊の準備してくれたお風呂があり、「ココ一番屋」のカレーライスの「炊き出し」があり、配布される物資も充実していた。
 布団、毛布、タオル、長靴、服、洗濯洗剤、スリッパ、ハンドソープ、フジパン、飲料などがキッチリと整理されて体育館の半分のスペースを使って置かれてあり、体育館のもう半分はストックになっている。非常に計算された置き方、配り方となっており、混乱することはなかった。
「中国職業能力開発大学校」に最大級のボランティアセンターがあり、そこから毎日1000人程度のボランティアが被災地に送り込まれるが、需要が多く、全く足りていないと聞いた。
全容が見えてきたので、一旦本部に戻る。
環境、状況を考えると、今の時点で我々救援隊が直接現地で「炊き出し」などの活動を行うのは難しいと判断する。
この日は、本部が宿泊を提供してくれた。

 本部の方針として、ボランティアに対して「修徳殿」「光風館」を開放する。つまり、ボランティアには無料で宿泊とお風呂を提供するという方針を出された。
そこに、一番に宿泊を願いたいと「NPO法人 国際ボランティア学生協会(IVUSA)」(以下、IVUSA)が申し込んできた。
我々救援隊としては、初手の段階で隊長が「本部に宿泊を提供しても金光町では食事をする場所もままならないし、泥出しのボランティアから帰ってきて食事を探すということも辛いであろうから、我々は後方支援としてボランティアに行く方々の食事の支援をさせていただく構えがある」と本部当局に対して志願していた。
そのことがあって、我々が初日の調査を終えて帰ってくると、IVUSAの食事提供をさせていただくということになり、二日目の調査は半日と決めて、準備のため、一旦大阪に戻った。
こうなると、我々の得意のフィールドとなるので、中一日で準備をして、20日の夜には大阪を発った。

 21日の夕食と22日の朝食を提供した。我々は熊本でも体験してきているので慣れているが、酷暑のなかボランティアに行ったIVUSAの学生さんたちは、さぞかし疲れて帰ってくるであろうと思ったが、皆が元気よく帰ってきて、大喜びでご飯を食べてくれた。女子の比率が高かったが、作ったもの全てを完食し、元気に次の日も現場に送り出すことができた。

 28日には大阪大学の支援チームが現地に入る予定となっており、我々救援隊がお食事のお世話をすることになっていたが、台風12号の影響により、ボランティアセンターが30日まで閉鎖されるということで、このたびは中止となった。中止とはなったが大阪大学の支援チームは「岡山、倉敷のあたりでも宿が取れなくなって困っている」と、この金光教が宿泊を開放したこと、さらには救援隊の「表に出ない土台の取り組み、下支えの活動」について感謝の意を表されている。

 後方支援は我々にとって初めての経験になるが、変化出来るという特質を持った我々ならではの活動であるともいえる。こういうあり方も良い経験となった。

 被災地では、仮設住宅への申し込みが始まった。これから避難所から仮設住宅に移ったり、さまざまな困難がおとずれる。
我々がここからお役に立てることが多くあり、協働している大阪大学とも連携して今後の支援を考えている。
教区の先生方はじめ、全教信奉者のみなさまには、いつもご支援をいただき、まことにありがとうございます。
 今後また、岡山の被災地に支援が必要と思っております。なにとぞよろしくお願い申し上げます。