今回で30回目の東北被災地訪問を果たした。
教区の願いを一身に背負いとまで言っては言い過ぎかもしれないが、それでもここまで続けることが出来てきたのは、教区の先生方・信奉者の皆さまをはじめ、全教のお祈りがあってのことと改めて思い、その感謝の気持ちをもって被災地を訪問した。
さて、前回3月の訪問直後に「熊本地震」が発生し、熊本に拠点を置き、毎月訪問したため、本来10月に予定していたが2カ月延びての東北訪問であった。
「長く来られなくてすみません」と言うと、東北の方は口々に、「絶対に竹内さんは熊本に行っていると思って、テレビで熊本が映るたびに、居ないかなと思って探していた」と言われた。
「私たちは宗教者だから、なかなか表舞台には出てこないのですよ」と、笑いながら言うと、あるお宅では、「10月末のNHKで一瞬だけど竹内さんが映っているのを見逃がさなかったわよ!すごく嬉しくて、やっぱり熊本に居たんだと感激していたのよ!」と言われる場面もあり、「炊き出し」には、うちのワカメを使ってほしいと提供を受けた。
さて、東北被災地の状況であるが、孤立した家の状況は特に変わり映えもせず、孤独や不自由との戦いであることに変わりないが、仮設住宅の状況があきらかに変化してきている。
仮設住宅の数が着実に減ってきているのである。
仮設住宅にお住まいであった方々が、家を新築したり、復興住宅に移ったりしているということである。我々が特に重点的に支援をしている地域のひとつ、宮城県牡鹿半島にある「K地区応急仮設」の住民としばらく話す中でのやりとり。
「いろんな地区をまわってきましたが、だんだんと仮設住宅が減ってきているような気がします。このあたりはどうですか?」
「そうなのよ。たくさんの方が新居に引っ越して、仮設住宅が歯抜け状態になってきているのは確かなんです。しかし、そこでまた問題が起こってくるのです」
「どういう問題ですか?」
「まずは、仮設住宅が歯抜けになることで治安がすごく悪くなるのです。減ってきた仮設住宅では、夜はポツンと数件だけ電気が点いている状態がありますからね。どこが住んでいて、どこが空き家か一目でわかるのよ」
「なるほど。それはあまり気持ちよくありませんね。自治会や行政の対策はどうなっていますか?」
「少なくなってきた仮設住宅の住民を他所の仮設住宅に引っ越しさせるのです。ですから、ここのK地区の仮設住宅は人が減るどころか、震災以降、今が一番住民が多いです。ですから、新たに自治会を再編成させたり、知らない人が引っ越して来たりして、それはそれでまたストレスなのです。もうほとんどボランティアも来てくれなくなったし、みんながストレスを溜め込んでいるから、また炊き出しとか、イベントをやってほしいなと思います」
こういうやりとりがあった。
現実問題、本当に住みにくいというか、やはり震災以降ずっと、落ち着けるはずの場所が落ちつけないという現実を抱え続けている。そのたった一人の声を聴いても、察するに余りある。
隣村の、「R地区仮設」で自治会長をなさり、私たち救援隊の活動にも夫婦で積極的に協力してくださったAさんという方があるが、このたび訪問すると奥様がお亡くなりになったことを聞いた。ご主人はひどく落ち込んでおられ、引きこもり気味であるとのことであった。奥様は、慣れない生活の中で辛い思いをし、そうとうなストレスがあったものと思われる。大雨の日に我々が訪問したとき、その奥様は、「ほら、雨漏りが酷くてね」と天井を指さしたあと、次に床を指さし、私に向かって「ここ、地面も穴が開いているからね、雨が漏って、下に流れていくからちょうどいいわ」と言って私たちにおどけて見せたことを思い出した。
ここ数回の訪問では、毎回必ず「死」ということに直面し、非常に憂鬱でもある。
南三陸町でタコの漁師を営む男性も、いつも我々の訪問を喜び心待ちにしてくれているが、肺癌を患い、一度は良くなって、「あんたたちが来てくれたおかげだ」とまで言ってくださったが、癌が完治したと思った矢先に転移が見つかり、もう手術も出来ずに余命宣告を受けていた。ちょうど私たちが訪問したのがその12月までと言われた余命の日であった。帰り際、非常に名残惜しそうにされ、いつまでも手を振られた。後ろ髪をひかれた。
次回3月訪問の際にも、元気でお会いしたいと切に願う。
こういう話とは逆に、成功例というか、ストレスを溜め込まずに元気になっていく方もなかにはある。
何度もこの報告書にも登場する「モグモグのおばちゃん」こと、Hさんという、宮城県石巻市雄勝町で被災して家を失い、しばらくは被災地に留まったが、決心して仙台市内に引っ越した方である。
ご主人は元々郵便局員だったが退職し、ご婦人は「モグモグ」というハンバーガーショップを経営していた。
余談であるが、「熊本地震」のボランティアに来ていた曹洞宗のお坊さんが雄勝町から来たということで、「モグモグのおばちゃん、知ってる?」と尋ねたら、「もちろん知っています。有名人ですよ。震災以降、どこに引っ越したかわからなくて探していたのです」ということであったので、「今は仙台市内にお住まいなので、モグモグのおばちゃんにあなたのことを伝えて、教えてもいいならまた連絡する」と名刺を交わすことがあった。まさか熊本で「モグモグのおばちゃん」の話になるとは思わなかった。
このHさんご夫妻、ご主人は心臓の疾患で病院にかかり、ご婦人も重大な持病がある。震災以降、病気も悪化して非常に落ち込んでいたが、仙台市内に家を買って引っ越し、畑を借りては野菜を作って成長を楽しみ、近所に配って喜ばれる。そういう生活をしていくうちに心も体も非常に元気になり、今ではその時のことが嘘のように思えるほどである。
経済的、環境的な問題もあるので必ずしもそうとは言い切れないが、こういう、ある意味では割り切った生活をスタートすることで、精神的にも肉体的にも復興していくという例もある。非常に個人的な意見であるが、いろんな意味で余裕のある方には、望ましい一つの成功例と言えよう。
このたびの訪問では、そのように現在の被災地の状況がよく分かった。
どうあっても、我々の働きは、少なからず、被災して難儀を余儀なくされている方々の心の支えとなっていることは確かで、これまでに築いてきた関係は確固たるものであることも確信している。それを代表する言葉として、今回訪問した先で言われたのが、「一年に二回だけ帰ってきてくれる息子だと思っています」という言葉だった。
「一年に二回だけしか帰ってこなかったら、なかなかの親不孝者ですね」と言って、互いに笑う場面があった。
微力ではあるが、今後も一人でも多く難儀を抱えている方を支えていきたい。
教区の先生方をはじめ、全教のみなさまには、いつも本当に多くのご支援を賜っておりますこと、御礼を申し上げます。この上とも、どうぞご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。