熊本地震第1次派遣(4/18~20)

派遣報告書
熊本城下の神社(被災)

熊本県にて発生した地震において被災された皆さま、ご家族、関係者の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
また、被災地の1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

4/14、4/16に起こった熊本での地震に対して、教内の被災状況の把握と今後の支援体勢を整えるべく、ひとまずの救援物資を運ばせてもらいました。
MAP参照(活動を地図で見ることができます)

熊本教会、水前寺教会の模様(4/18)

松橋教会、山西教会、肥後高森教会の模様(4/19)

どこも飲み水が不足しています。通りかかった町でも町内放送でそのように流れています。

山西教会の模様(4/19)

木山教会の模様(4/20)

炊き出しはしておりませんが、お風呂に長く入っていないということなので、お湯を沸かしてあげて、プロパンガスと寸胴と五徳を置いてきました。

木山教会はとても広くて、敷地内に何棟も建物が建っていますが、会館以外は全てペッシャンコになっています。お広前も建っていますが、危険家屋になっています。


木山教会の周辺の様子(4/20)

私たち金光教大阪災害救援隊は、「熊本地震」における平成28年4月14日の余震、16日の本震を受け、白神隊長招集の先遣隊を現地に派遣した。
先遣隊は、救援物資(水・食料・ガソリン・調理器具など)を積んで17日夜に大阪を出発し、翌18日より活動を開始した。初手の段階では、積める限りの物資を積み込み、主に教会を中心とした物資の配布、調査を行うとともに、今後の支援のあり方を模索した。
さて、被災地は、いつも、どこかで災害が起こったときと同様に、現地に近づくにつれて、やはり、様相が一変する。福岡県でも南の久留米あたりを越えると、瓦屋根の家の上に、ブルーシートが目立つようになってくる。地震で、瓦がズレたり、落ちたりして、せめて雨漏りを防ぐためにブルーシートをかけている。
そういう悲惨な光景も、熊本に近づくにつれて激しさを増すと言うか、今度は瓦だけでなくて、窓ガラスが割れた家が目立っていき、もっと近づくと、家が全壊・半壊している光景が広がっていく。メディアでおなじみの熊本城なんかを見ても、恐ろしかった。あの天下の名城が見るも無残な姿に変わり果てていた。

4月14日に余震が来て、と言っても、誰があの大きな地震を余震と思っただろうか。
その二日後にもっと大きな地震が来て、それが本震ということだが、そんなことは誰もその14日の時点ではわからない。
実際、全容が明らかでなかった14日の時点では、少なくとも我々救援隊の出る幕でもなかったであろうが、16日の本震を受けて、すぐに白神隊長から、「熊本出発に向けた準備を進めてもらいたい」との要請を受けた。

翌17日夜には大阪を発ち、前述のように18日から活動を行うことができた。
しかし、度重なる余震と、混沌とした被災地の状況のなかで、なかなか思うように我々救援隊も前に進むことができなかった。
現地を踏んで思う。我々が滞在する間にも、震度5以上の余震が毎日あった。何度も何度も揺れて、その警報や緊急地震速報が携帯電話なんかをとおして、大きな音で入ってくる。そのたびに、走っている車なんかは、側道に車を寄せてその揺れをやり過ごすのである。慣れてきたといっても、地面が大きく揺れるのだから、本当に恐ろしい。
被災の中心地、震源地となった益城町の地を踏んだときは、さらに衝撃的で、家が地震でここまで壊れるのかと思った。この町の人たちは、さぞかし怖かっただろうなと思った。
駆けつけたときには、すでに避難所のキャパも溢れ、大半の方は車中で寝泊まりしていた。家がなんとか無事だったところもあるが、いつ倒壊するかわからないし、続く余震で物がどんどん落ちてくるのに、そこでは寝られない。
実際、最初に見たときよりも、二度目に見たときの方が被害が大きかった。続く余震で、やっぱり耐えられなくて、倒壊してしまった家がいくつもあった。

罹災証明がまだ下りないであろうが、教会も数教会、全壊になると思う。その倒壊寸前の、赤紙が貼られた教会を見ると、何とも言えず悲しくなった。
赤い紙は危険家屋指定で、立ち入ることも危険ということで、行政がのちに、解体することになる。黄色の紙が要注意で、厳重に注意をしてくださいということ。なんとかリフォームして住めるといったところだろうか。緑の紙は、ほとんどなかったが、そこには住めますということ。

我々は比較的早く現地に入ることができたし、さすがに今回は、何事もスムーズにいった。物資の調達も、何を買ったらいいかわかったし、高速道路も救援隊が優先的に通してもらえることもわかっていた。
問題が起こっても、熊本教会長・萬野信一先生がアドバイスをくださった。

 活動的には順調であったが、被災地は非常に辛い現状を抱え、その声を聴いてきた。聴いてきたからには、救援隊として立ち上がらなければならない。
 4月21日に緊急の報告会を開き、4月25日からの第二次災害派遣が早急に決まった。今後、かたちを変えながら、さまざまな支援をしていくこととなる。
 以上、まずは第一次先遣隊の報告とさせていただきます。
 中近畿教区の先生方はじめ、信奉者の皆様には、深いご理解とご協力を賜りますよう、なにとぞよろしくお願い申し上げます。