第二十三次災害派遣活動

第二十三次災害派遣活動
2013年3月6日(水)~3月12日(火)

組織の決定により、昨年8月末をもって一旦は災害救援活動を休止していたが、教区の皆様、また、全教の皆様のお祈りと、暖かいご支援により、第23次災害派遣隊を組成し、活動を再開することが出来た。
今回は、まず、原発の損壊による放射能流出・放射性物質拡散で三重苦の被害に遭われている福島県を訪問した。2011年10月以来の訪問となったが、福島県の先生方は非常に喜んでくださった。

会津野伏教会から順(進行方向の道順)に訪問したのであるが、会津野伏教会の生沼幸子先生は、私をひと目見るなり「竹内先生!?」と言ってくださり、近況をお聞かせくださった。生沼先生には、前回の訪問で初めて(わずか数十分間)お目にかかったのであるが、その時から約一年半の歳月が過ぎても私のことを覚えてくださっておられたことに非常に驚いた。
「これはきっと、前回訪問からの一年半の間、ずっとあなたのことや、救援隊のことをご祈念くださっていたのだ」と、一緒に行った先輩の先生から言われ、改めて、祈りの中での活動であることを思った。

岩代郡山教会では、教会長先生(現・教団会議員 橋長孝三郎先生)が私たちの訪問をお待ちくださっており、震災当時のことや、今、私たちがどのようにあるべきか、色々とお教えくださったり、今後のことなども話し合うことができた。

福島教会長の金光榮雄先生は、福島県の深刻な状況を赤裸々にお話しくださったあと、「育ちゆく子どもに絶対に傷を負わせるわけにはいかない」と、強く仰った。

福島県で非常に驚いたことは、『現在のこの地点の数値○○μsv/h(マイクロシーベルトパーアワー)』と、いたるところで表示されており、つまり、分かりやすく説明すると、「今この場所では一時間にこれだけの放射能を浴びています」という表示が、方々にあり、県内では毎日の天気予報にても、現在放出されている放射線量の数値が発表されるのである。
実際、泊まったホテルのフロントにも、その数値がリアルタイムで表示されていた。
福島県内は、どこに行っても作業員風の方がおられ、停まっている車のナンバーも他府県のものが目立つ。また、どの場所にあっても、誰もが話している内容が放射能の話題であり、違和感を感じる。

福島県の問題は本当に何時になったら解決を見ることができるのか、全く想像もつかない。私たちが生きているうちの解決は難しいかもしれない。いや、きっと出来ないと思う。
しかし、そんな福島県の地にあって、毎日ご神勤くださっている先生方はじめ、信奉者の方々、地域の方々に対し、細々とでも、何か出来ることはないかと考えるばかりであるが、なかなか考えも及ばない。また、中近畿教区の皆様のお知恵を拝借したいと願います。

さて、ここからは、宮城県、岩手県の訪問に関しても報告いたします。
宮城県、岩手県の被災地を訪問しますと、どちらのお宅を訪れても、半年振りの再会に、みなさん涙を浮かべて手を握ってくださったのであるが、少しは状況も良くなったのかと、話を聞いてみると、意外な返答が返ってくるのであった。

ご周知のとおり、現地には、ワカメ漁で生計を立てておられる漁師さんが多いのであるが、今年はいつまでも寒かったので、なかなか海水の温度が上昇せず、非常にワカメの成長が遅く、そのまま成長を待っていると、急激に海水温が上昇したときに、ワカメが黄色く変色して商品にならない。ですから、大きく育っていなくても、例年と同じペースで順番にワカメの収穫をしていかなければならないと言う。

育っていないワカメを収穫しているため、値段も非常に安く、例年の4分の1程度の浜値しかついていないと聞いてガッカリした。
しかも、急激にボランティアが減ったということもあり、今年は人手不足にも悩んでいるとのことでもあった。(私事で恐縮ですが、深刻な人手不足の話を聞き帰り、妹にそのことを話すと「私行きます」と名乗りをあげてくれたので、その後すぐ、小学4年生の娘を残して2週間のワカメボランティアに行ってくれるということもあった)
また、宮城県石巻市牡鹿半島にある小渕浜で聞いた話であるが、小渕浜には4箇所の仮設住宅があり、そこに仮り住まいをしている住民は、高台の土地所有者(隣の給分浜の方)から土地を譲ってもらって、高台に移住するという計画が着々と進んでいた。
しかし、その土地の所有者は、隣の給分浜という地区の方であり、元々、隣同士だが、諍いが絶えなかった村同士であったため、土地の所有者が「やっぱり小渕浜の人間には土地は売らない」と言い、高台移転の話が頓挫したそうで、地域の住民は非常にガッカリしている。
ガッカリしている住民であったが、私たちが訪問すると、非常に喜び、色々と現状などを教えてくださった。話すなかで、方々でよく言われたのが、ボランティアが来なくなり、炊き出しなんかもなくなって、地域の住民が非常に寂しい思いをしているので、できれば、救援隊名物「焼肉丼」の炊き出しをお願いしたいと切望されていた。
仙台の拠点がなくなった今、炊き出しというのはなかなかハードルが高くなったのだが、今後の活動のなかでは、そのようなことも視野に入れて考えていきたいと思う。

さて、今回の救援活動のなかで、非常に感じて帰ってきたことがあるので、最後に報告するのですが、東日本大震災発生からちょうど2年を迎える平成25年3月11日、私たちは宮城県石巻市小渕浜にて、2時46分のサイレンに合わせ、海岸にてご祈念を行った。

昨年の同日も、この場所でご祈念をした。確か昨年は、炊き出しを行っており、一旦、火を止めて海岸まで歩いて行ったのを思い出した。
昨年もそうであったが、本年も、他宗教のボランティアや、NPO法人などは、この日に焦点をあてて慰霊などのイベント事を盛大に行い、それが被災者の安心に繋がっている部分が多く見受けられる。

今年の夏にも、何かするならば、お手伝いがしたいと申し出てくださってある団体も多数あったが、次はやはり、来年、東日本大震災発生より3年目を迎える3.11ではないだろうかと思う。私見ではあるが、金光教大阪災害救援隊も、出来れば、来年の3月11日には、被災地の方々が喜んでくださり、お役に立つことがしたい。何か慰霊などのイベントを盛大に行いたいと願うばかりである。

金光教大阪災害救援隊は、教報『天地』5月号に記載されたとおり、平成25年3月13日をもって、各種団体として承認され、初代隊長には大阪教会長・白神信幸師が就任された。
今後のヴィジョンとしては、東日本大震災における救援活動はもとより、今後、何時何時起こり得るかもしれない、南海トラフ巨大地震に対する対策、調査を講じていきたい。
もし、南海トラフ巨大地震が発生した場合、死者予想数は何と32万3000人と予想されているが、ある専門家によると、その数字でさえ甘いと言われている。
東北の震災に関わってきた私個人の意見としても、32万人以上と言われても、そうかもしれない。と思うのである。
今後も、多方面において、さらに力を尽くしてまいりたいと思います。

以上、簡単ではございますが、第23次災害派遣の報告とさせていただきます。
中近畿教区の先生方をはじめ、信奉者の皆様には、いつもいつも、お祈り添えを賜わり、暖かい励ましのお言葉や、数多のご支援をいただき、この度も事故や怪我もなく、無事に活動を終えさせていただくことができました。
ありがとうございました。