第二十一次災害派遣活動
2012年8月3日(金)~8月9日(木)
今回で第21回目の災害派遣となり、隊としての救援活動も残すところあと1回となった。
今回でお別れの方も多く居るのだが、そんなお宅を訪ねると、顔に書いてあったのか、例外なく相手の方に先に気づかれて「いつまで?」などと聞かれるようなことがあった。
「実は今回で最後なんです」と言うと、またみんなが口を揃えて言ってくださることが「あなたたちは、誰も来てくれないこんなところに、ずっと、来てくれたもんね。本当にうれしかった。長い間ありがとうね」という言葉であった。
また、あるところでは「物とかではなく、あなたたちには心をもらった」と言ってくださったのが嬉しかった。
わずか、月に1回の訪問が、こんなに人を喜ばせ、勇気付けていたことを、涙ながらに話される被災者を見て改めて思うようなことでもあった。
ある場所では、こんな話も聞いた
『ある漁師は操業中に津波が襲い、状況からして自分の家族は全員亡くなったと思ったそうで(実際、奥様と高校生の息子さんを亡くしている)、こうなれば一人でも多くの方を助けたいと奔走した。結局、知り合いの漁師と二人で協力して28人の方を助けたとのことであったが、そんななか、ある女の子が瓦礫のなかで電柱につかまっているのを見つけた。漁師はその女の子を引き上げようとしたが、腰のあたりまで水に浸かった状態でなかなか足が抜けない。その女の子は「下におじいちゃんが居るのです。助けてください」と言うので、調べてみると、女の子の足をおじいさんが掴んでいた。その女の子と一緒に避難した祖父であった。死に際に孫の足を引っ張ったと思ったが、その女の子が言うには、流されないように、足をずっと掴んで支えてくれていたということであった』
2万名近い方が犠牲になり、生きるか死ぬかという状況において、このようなことが幾百、幾千も繰り返されたのである。本当に壮絶であり、人の思いでは計ることができないことである。今、改めて振り返っても、やはり、私はこのご用に行かせていただいて、本当に良かったと思うし、中近畿教区の皆様を代表して直接、被災者の方々の手を握ってこられたことを、誇りに思う。ありがたく思う。
さて今回の派遣において、被災者とのお別れとともに行なったことが、次回第22次災害派遣時に行う「夏祭りin小渕浜Ⅱ」の広報と、中外日報の取材であった。
中外日報からは、中外日報特別編集委員の北村さんという方が取材に来られ、活動に同行と、私たちに対する取材をされたのであったが、取材のなかで「他宗の方たちは、これを機に布教をされる方も多く見受けられるのですが、あなた方はどうしてここまで被災者との関係ができているのに、布教をしないのか」という質問に対して「私個人の意見ですが、布教は教会でするもので、災害弱者の弱みにつけこんで行うものではありません」と言いましたら「今日は非常に良い取材ができました」と言っていただき、私たちの活動に対して、非常に感激されるようなこともあった。
「夏祭りin小渕浜Ⅱ」の準備と広報(現地新聞社への取材依頼など)も順序良く出来、現地NPOからレンタルできる物(プロパンガスなど)の手配など、大方の準備を整えることができた。
また、今回の夏祭りでは、あるときに知り合った、被災者で美容師の方も出店してくださることになった。
この美容師さんは、自らも地震による被害で経営する美容室と自宅が傾き、しばらく休業を余儀なくされ、最近になってようやくお店も復活させることができた方である。
この方はあるとき「私はあなたたちの生き方に共感します」と言い、会話のなかで夏祭りの話になったとき、冗談で「Bちゃんも出店したら?」と言ったのをきっかけに「私は、美容師でありながら、震災当初、誰の力にもなれなかったことを悔やんでいました。ぜひとも私たちもボランティアに参加させてください!当日は店を閉めてスタッフ4名で参加させていただきます」と言ってくださるようなことがあった。
この「夏祭りin小渕浜Ⅱ」には、多方面(玉水教会OTO倶楽部、東中国教区青年教師、名古屋地方連合会、西近畿教務センター、みちのくボランティア隊など)からも多くスタッフとしてご参加くださることになっている。
チラシを持って広報にまわっても、被災者の方々も皆、非常に楽しみにしている。
この夏祭りで、二度と会えない方も居ることは確かである。
抜かりなく、精一杯を奉げたいと思う。
以上、簡単ではございますが、第21次災害派遣の報告とさせていただきます。
中近畿教区の先生方をはじめ、信奉者の皆様には、いつもお祈り添えを賜わり、暖かい励ましのお言葉や、数多のご支援をいただき、この度も事故や怪我もなく、無事に活動を終えさせていただくことができました。
ありがとうございました。