■第十六次災害派遣活動報告書
2012年2月17日(金)~2月24日(金)
◎全体を通して
昨年12月に、東中国教区青年セミナーの講師として、本部やつなみホールにて「金光教大阪災害救援隊」の活動や被災地のことについて発表した。首都圏フォーラムや少年少女会も活動するなかで、大阪の災害救援隊にとのことであった。90分の講話を終え、質疑応答の時間になると、たくさんの方が手を上げてくださり、休憩中や懇親会のときにも質問されるなど、本当に熱心に被災地のこと、被災者のこと、現状の把握、「今、自分たちに出来ることは何か」を模索しておられた。一泊二日の講演会も終わり、私が大阪に帰ると、さっそく東中国教区の青年教師に向かって呼びかけられ、早々に「お邪魔にならないように、大阪災害救援隊の活動に参加したい!」との申し出をいただいた。なんと、今回ご参加くださった方は、青年信奉者を中心に、小さな3歳の子供を合わせて11名にも及んだ。しかも、吉備団子や名物の羊蕊、手作りの肩たたき棒や絵葉書、教区の子供たちが手作りでメッセージを書いたハンカチなどを持参され、直接、被災者に一つひとつを手渡しすることができた。被災者の方たちは、その品物を受け取ると、泣いたり笑ったりで、それぞれに喜びを表現された。また、東中国教区のみなさんは楽器を持参され、炊き出しの横で演奏会をしてくださり、わりと広い集会所が満杯になるほどの盛況ぶりであった。和太鼓やフルート、ウクレレなどの演奏に、会場では、感極まっておられる被災者の方も多くおられた、また、私たちの隊員の中にも、思わず感極まる者があったりした。いつもなら炊き出しが始まると人が殺到するが、「ふるさと」などの曲の演奏に聞き入る人が多く、混乱することはなかった。後で聞いた話であるが、集会所が満杯だったので、あきらめて帰ったという方も数名おられるほどであった。
炊き出しに提供した焼肉井も大好評で、小渕浜の孤立したお宅に出前なども行なうと、予定の300食を遥かに超え、約400食作ったものが全てなくなった。しかも、仲良くなった、我々と同年代被災者が手伝ってくださり、非常にスムーズに被災者とのコミュニケーションもとることができた。
また、この日は、毎日新聞の記者も取材に来てくださり、取材を受けた。炊き出しが終わると、この日は東中国の青年教師はそのまま仮設の集会所に宿泊の予定であったので、その場で親睦会を開いた。その親睦会には、前々からお世話くださっている被災者3名も同席し、非常に有意義な時間を持つことができた。また、炊き出し直前に、プロパンガスのプラグを忘れたことに気づき、非常に困ったが、たくさんの方が、うちのを使ってくださいと申し出てくださった。結局、民宿「めぐろ」のオヤジが手配をしてくれて事なきを得た。孤立集落訪問においては、前回、豪雪のため断念せざるを得なかった岩手県を訪問することが出来た。盛岡を回るルートをとると、区界峠という雪深い山道を通らなければならないので、時間はかかるが太平洋の海岸沿いを走るルートをとった。ところどころ、道の端には雪があったものの、道路には雪がなく、無事にたどり着くことができた。春まで会えないと思っていた被災者は、私たちの訪問を非常に驚かれたが、心から喜んでくださった。また、その宮古市田老地区に一軒だけ再開した「H商店」を訪れ、商品の陳列用に、私たちが炊き出しで使っていた長机を差し上げると、「こんなにお粗末なお店の再開ですが、赤字は出しておりません。何もないとき(被災してお店の壁やサッシも入っていないとき)から支援してくださって、なんとお礼を言ったらいいかわかりません」と喜ばれ、そこで買い物をしたお客さんも「この商店一軒しかないけれど、本当に助かります」と喜ばれていた。田老地区の訪問を終えると、とっぷりと日も暮れていた。その日は雪が降らなかったので、区界峠を越えて盛岡に宿泊をしたのであるが、次の朝、目が覚めてみると、雪が降っており、一面、銀世界になっていた。しかし今回は、スノータイヤを装着した4WDの車を手配していただいており、難なく雪道を走ることができ、スリップ事故などをされている方は多かったが、我々は大雪にも臆することなく、岩手県を訪問することができた。
また、個人的に印象深かったことは、今回、初めての参加となった、いつも気丈なS隊員(大阪センター職員)が、孤立集落訪問時、壊滅している地区(南三陸町志津川地区のあたり)を走行中に、車の中でそっと涙を流されるという場面があった。私は運転中に、ミラー越しにチラシと目に入ったのだが、「これが本当の人間の姿であろうな」と思い、自分自身、一年間、現時点で全16回の派遣に参加しており、ずっと必死で活動してきたが、変に慣れてしまってはいけないな。初心を忘れては絶対にいけないな。と、改めて思い正すことが出来たように思う。
今回、小淵浜の仮設住宅において、炊き出しを行なっているときに、思わぬことを被災者の方から言われた。夏祭りのパンフレットをお配りしたときに、Sさんという方のことを紹介し、Sさんがインターネットのブログにアップしてくださった文章を記載した。第16次派遣のとき、Sさんは親子揃って炊き出しにきてくれたのであるが、そのときに、御祓いをしてもらいたいという申し出があった。実は、このSさんのお宅は、1階が津波の被害で骨組みだけになったのだが、床板が残ったため、震災以降しばらくの間、ご遺体の安置所になっており、もしかしたら、その影響かもしれないと申され、なんとか助けてもらいたいとのことであった。そのときは、炊き出しに追われ、バタバタしていたので、なんともしてあげることも出来ず、大阪に帰ってきたのであるが、帰ってからも気がかりで、本隊と相談の結果、現地で霊祭を行なうことにした。これは、第17次災害派遣時に行なうこととする。この地区での金光教の知名度はゼロに等しい。ずっと、自己満足になってはいけないと思い、鎮魂、御霊慰めということは、我々の救援活動の一端としては行なってこなかったが、被災者のほうから、そのような依頼が来るということは、私たちの一年間の活動が、被災者の心をこちらに向かせたということになるのであろうか。いよいよ宗教者としての本分を果たすときがきたと思う。
以上、簡単ではありますが、第16次災害派遣の報告といたします。中近畿教区の先生方をはじめ、信奉者の皆様には、いつもお祈り添えを賜わり、暖かい励ましのお言葉や、数多のご支援をいただき、この度も事故や怪我もなく、無事に活動をさせていただくことができました。本当にありがとうございます。