■第十五次災害派遣活動報告書
2012年1月22日(日)~1月30日(月)
◎全体を通して
出発当日の1月22日は、いつもより2時間早く大阪を発った。日本全国に寒波が押し寄せているとの気象情報を受けて、道路が凍結しないうちに仙台に入りたかったためである。現地に近づくにしたがって、どんどんと気温が下がり、福島県に入ったあたりから、気温はマイナスになり、それ以降、帰阪の日まで気温が0度を上回ることはなかった。毎日「この冬一番の寒さ」を更新し続け、「この冬一番の寒さ」という言葉を聞き飽きるほどであった。予定通り、日付が変わるまでには仙台に到着したのであるが、幹線道路以外の道は、ことごとく凍っていて、スタッドレスタイヤ(スノータイヤ)を装着していても、何度もタイヤが滑り、恐い思いをした。2台前を走っている車が走行中に滑って横を向き、私たちの前を走っていた車がブレーキをかけたが滑って止まれずに激突するような場面や、上り坂で前を走っていた車が滑って後ろに下がってくるような場面もあったが、私たちの車はおかげをいただき、無事であった。地元の方が、私が見ただけでも何十回も事故をしているなかで、私たちのように慣れていない者が無事だったということは、本当に、全教はもとより、改めて、中近畿の皆様がお祈り添えくださっていることを実感することができて嬉しかった。
さて、炊き出しの日に仮設住宅の集会所を訪れると、「あつ!また来てくれたんだね!」と、被災者数名が出迎えてくれた。待ちわびてくれていたように、おしゃべりが始まり、前回から今回までに小渕浜でおこったことを教えてくださった。そこで、我々が炊き出しをする当日の朝に、寒さで水道管が破裂し、仮設住宅集会所の水道が使えないとの情報を得る。しかし、我々が「どうしようか」と悩むよりも先に、多くの方が「私の家の水道を使ってください。トイレもうちのを使ってください」と申し出てくださったり、何も言わないうちから、ポリタンクで水を運んでくださる方もあり、非常に有り難く、被災地の方と、いよいよ心安くなってきたと思う。さて、今回の炊き出しは「もちつき大会」を行い、きなこ餅に鶴子をかけたものと、大根おろしにポン酢を注ぎ、餅をからめて鰹節とあさつきをトッピングしたものの2種類を提供した。小渕浜の方は、前から思っていたのだが、餅が非常に好きなようで、2升の餅を7回つき、960個の餅を作ったのであるが、「おいしかったから」と、何度も並んでくださる方も居て、全てがなくなった。今回の餅作りは、餅つき機を何台も持って行き、私たちが前もって作ったものは、孤立集落に配り、全部で2000個以上のお餅を作ることができた。余分に作った餅を、小渕浜の孤立集落の方々に配ると、「私たちは家が残ったから、仮設にもらいには行くことができないから嬉しい」と言って、非常に喜んでくださる方が多く、やはり、仮設住宅の住民と、孤立した家にお住まいの方との溝は深いと、残念ながら実感させられた。また、私たちの活動が非常に根付いてきており、信頼関係が出来たことで、同世代の被災者の方とも仲良くなることができ、食事を共にする機会を持つこともできた。食事の場では、自分自身(被災者の方自身)の、震災から今日までの出来事、亡くなった方のこと、ボランティアが来てくれて嬉しかったことなど、非常に生々しい話しを聞かせていただいた。なかでも、「震災が起こった次の日に、行政は生きている人の捜索活動を優先し、亡くなった方は後回しになった。村中に転がっているご遺体をほっておけない村人は、ご遺体を回収するために人員を募った。自分はガレキに押し潰されたご遺体の確認を依頼され、見たら絶対に精神がおかしくなると思っていた。何度か遺体確認の依頼があったが、直前で身元が判明し、直接見ることは間逃れた」などといった、想像を絶するような内容の話しもあり、私自身も、同じ日本の一部におこった光景とは思えなかった。また、その方は「自分は普段、人に優しいほうではなかったが、被災当日、避難所で誰もがバラバラになって、連絡もとれない家族のことや、家がどうなったかと、朝方になっても眠れずにいるときに、隣で寒い寒いと言って泣いているおばあちゃんが居た。そのおばあちやんに自分の服を脱いで着させてあげた。自分も足の感覚がなくなるほど冷たく冷え切っていたが、自然に体が動いた」と言って、本人も驚いていた。自分では「決して優しくない」と言っておりながら、自分の命をかけたその行動は、私たちに感動を与えてくれるものであった。
また現地では、他のNPOの方と横の繋がりが出来、「非常に素晴らしい活動をされておられるから」と、現地の連絡会議などに出席してもらいたいとの依頼もあった。残念ながら日程上の都合で会議への出席は適わなかったが、他のNPOの方が、その会議にて金光教大阪災害救援隊の活動を発表してくださり、優先的に仮設住宅の集会所を使わせていただけることとなった。孤立集落訪問についても、前回の報告書にて記載した「女川にお住まいの70代くらいの男性」は、私たちが訪問すると、孫でも来たかのように喜ばれ、自分たちが食べようと干していたイカの一夜干しを「この近くで獲れたイカだから」と、干していたものを全部取って私たちにくださった。私たちは「いりません。せっかく作ったんだから、お父さんが食べてよ」と何度も言ったのだが、夫婦揃って「本当においしいから、持って帰ってみんなで食べなさい」と言われ、ありがたくいただくことにした。この方は「今度は、足がよくなってきた」と言って足を見せてくれた。前までは足のふくらはぎが、太ももくらいに腫れ上がっており、もう回復の見込みもないものかと思っていたが、今回は、ふくらはぎが健常な状態になり、歩けるまでに回復していた。「あんたたちが来てくれたから良くなった」と言ってくださり、少し恥ずかしい感じもしたが、隊員一同はホッと胸を撫でおろすことができた。また、他の場所においても、私たちの訪問を心待ちにして喜び、帰る際には、私たちが見えなくなるまで、手を振って見送ってくれる姿が険から離れない。
次回、第16次派遣は2月17日早朝の出発となっている。その第16次派遣には、東中国教区より11名の青年信奉者が我々の活動に参加してくれることになっている。合計19名での派遣になる予定であるが、昨年12月に、東中国教区の青年セミナーに講師として招かれた際「今からでも出来ることはたくさんある」と言ったことに対して、東中国教区の青年信奉者が「一緒に活動して、何か被災者のお役に立たせていただきたい」と応えてくださり、早々に実現することになった。今現在は「肩たたき棒」などを集められているとのことで、被災者の方もきっと喜ばれるに違いない。本当にありがたい。私も今後も引き続き、被災地・被災者の支援に全力を尽くしたい。中近畿教区の先生方をはじめ、皆様には、いつもお祈り添えを賜わり、暖かい励ましのお言葉や、数多のご支援をいただき、この度も事故や怪我もなく、無事に活動をさせていただくことができました。本当にありがとうございます。