第十四次災害派遣活動

派遣報告書
第14次派遣

■第十四次災害派遣活動報告書
2011年12月19日(月)~12月25日(日)
◎全体を通して
東北に向かう道程も、福島県に入ったあたりから、吹雪きはじめ、仙台に到着すると、すでに雪が積もっており、私たちが滞在している1週間の間も毎日雪が降り、東北地方は本格的な冬を迎えた。最低気温がマイナス6度の日もあった。運転には非常に自信を持っていたが、岩手県宮古市(田老地区)からの帰り道、区界峠という非常に雪深い峠では、タイヤが滑ってしまうということもあり(もちろんおかげをいただき、スリップや事故にはつながりませんでしたが)、過信や油断は大敵であると思わされた。また先輩の先生に、雪道の運転をご教授いただきたいものである。
岩手県の田老地区訪問においては「区界峠(田老地区に向かう途中の峠)は雪深いから、絶対に来ちゃだめだ!あんたたち、人のために命をかけるなんてバカだよ!」と、被災者の方から怒られる場面もあったが、それだけ過酷な状況下での訪問に喜ばれる姿は、非常に私たちのモチベーションの向上を促すものであった。
さて、今回の被災地派遣も、炊き出しや、孤立集落を訪問しての傾聴活動に重きを置いて活動を行った。
いつもお世話になっており、共に活動を行ったこともある現地NPOの方より、「金光教さんは上手に使ってくれるから」と言って、賞味期限の近くなった「おでん」約1000人前(パックになったもの)の提供を受け、あたたかい炊き出しや、孤立集落訪問に持参することができた。牡鹿半島にある小渕浜(給分浜地区仮設)における炊き出しでは、仮設住宅の集会所を使わせていただくことができ、いつものことながら、たくさんの行列ができて、被災者の笑顔が絶えなかった。集まってきた子どもたちに対して、お菓子のつかみ取りを行なうと、子どもたちは、大はしゃぎで喜んだ。なかでも、非常に印象深かったのが、炊き出しを食べに来てくれた、私たちと同年代の女性の方は、炊き出しの後片付けを手伝ってくださったのだが、そのときに、ミサンガという手作りのアクセサリーを持ってきて、隊員全員にプレゼントしてくれた。そのミサンガというアクセサリーは、紐を編んでブレスレットのようにしてあり、その紐の一部は、津波で流された漁師の網が使われている。復興にかける願いが込められた逸品であった。「前から欲しかったので買います!」と言ったのですが、「これは私の気持ちです。お金はいりません。気にいらないですか?」と言ってくださったので、気持ちよく頂戴することにした。
その方は、私たちの活動について、前々から非常に喜んでくださっており、被災者の心境や、小淵浜の各お宅の事情などを色々と教えてくださった。さらには、今後、私たちの活動に協力したいと言ってくださり、私たちが手詰まりになっていた、西近畿教務センターが行っているボランティア活動(津波で流された写真の修復作業)における、写真の回収作業をさっそく地元で行ってくださり、わざわざ大阪まで写真を送ってくださった。同年代の被災者と友達になれたのは、非常に大きな成果であったと思う。今後とも、このような繋がりを大切にしていきたい。冒頭に書いたように、東北の被災地は本格的な冬を迎えている。今回はお正月前ということもあり、お餅(小さな鏡餅)やみかんなどの、お正月らしい物資や手作りの品を教内の先生からたくさん持たせていただき、被災地の孤立した家を訪れることができた。雪の降る中、孤立した家を訪問し、「来年は良い年になるように祈ってるからね。雪も降って寒いけど、体に気をつけてね。来年もまた来ます」と言うと、被災者は口々に「今年は本当にお世話になったね。あんなことがあって辛かったけど、あなたたちに出会うことが出来てよかづたよ・来年また会えるなら、それまで頑張るよ」「こんなに雪が降っているのに来てくれたの。本当にありがとう。あなたたちこそ体には十分気をつけてね」「クリスマスなのに、デートもしないで、こんなとこに来てくれなくていいのよ」などと言って涙を流される姿が非常に印象深かった。雪の中を訪問する我々の姿を見ただけで涙を流される方も多かった。
南三陸町滝浜という地区にある被災者のお宅を訪ねると、体が悪いにもかかわらず、私たちの声を聞きつけると、非常に喜んで出てきてくださり、いつもお話をしてくださるのであるが、「行政は、私たちのような孤立した家には、何もしてくれないのです。私たちは、何かをしてほしいというわけでは、決してありません。ただ、ここに住んでいることさえ忘れ去られているということが、本当に悲しいのです。仮設住宅でワイワイやっていても、決して近づけるようなものでもありません。大阪からわざわざ来てくれるあなたたちは、本当に私たちの、一筋の光なのです。あなたたちが来てくれなかったら、私たちに救いはなかった。本当に嬉しい」と言って、ぼろぼろと涙を流される。嬉しい言葉ではあったが、私たちは、ただただ、うなだれて、グッと涙をこらえるしかなかった。また、非常に嬉しかったのは、女川という地区にお住まいの70代後半の男性は、工場や車を津波で流され、だんだんと元気を失い、私から見て、もうこの方は、このままダメになっていくかもしれないな。と思っていたのだが、なんと、今回の訪問では、病院を退院し「来年(平成24年)から仕事をしたい」と意気込んでいた。この方の家を訪れたときに、ハツとこちらを向かれ、私たちの顔を見てニコッと笑顔になられた。その一瞬は、なぜか、皆が救われた気持ちになれた一瞬でもあった。次の訪問では、もっと元気な姿であってほしいと願う。
今回は、物資のことや雪道のことを考えて、大阪からはワゴン車で行き、現地でバン(商用ワゴン)をレンタルすることができた。2台の車を使用できることで、二手に分かれて活動を行い、非常にスムーズに被災地・孤立集落への訪問、傾聴活動を行うことができた。しかし、同行の先生の「これだけ頑張って回っても、被災した地域で孤立した家のすべてを回れているわけではないな」という一言で、あらためて自分たちの力不足を実感させられるのであった。やはり私たちは被災地の何十分の一も回れていない。本当に目についた、たまたま私たちが発見できた家だけを訪問している。こんなことは今さら言うべきことではないのかもしれないが、いろんな苦難に遭われている方がもっともっとおられる。実際には時間も物も人も足りていない。しかし、出来る範囲、出来る限界を尽くし、救援活動を行いたい。おそらく、救援隊も震災発生より1年をもって、一旦、引き上げることになるかと思うが、最後の最後のときが来るまで、被災者に寄り添って、力を尽くしたいと思います。教区の先生方をはじめ、皆様には、お祈り添えを賜り、暖かいご支援をいただき、事故や怪我もなく、今回も無事に活動をさせていただくことができました。本当にありがとうございます。