■第十三次災害派遣活動報告書
2011年11月13日(日)~11月22日(火)
◎全体を通して
今回は、仮設住宅での炊き出しや、孤立したお宅が密集する地区での炊き出しをメインに活動をした。
炊き出しの内容は、大阪名物「肉吸い」とした。「肉吸い」とは、ご存知ない方も多くおられるかと思いますが、昔、吉本の芸人(花紀京)さんが、出番の空き時間に難波グランド花月の近所にある食堂「千とせ」で「肉うどんのうどん抜き!」と注文したらしく、それ以来、そのお店の名物料理となり、今でも行列が絶えないほど繁盛している。寒い被災地で、何か温かいものをと考えていた矢先、その「肉吸い」を思いつき、お店に行って、作るところを見て、作り方を学んできた。今回の炊き出しでは、さらにボリュームを出すため、豆腐と、炭火で焼いた餅を中に入れて提供した。
岩手県田老地区での炊き出しは、前回よりも多く人が集まってくださり、部活途中の高校生まで参加してくれた。また、牡鹿半島給分浜仮設(小渕浜)では3ケ所の仮設合同、小網倉浜仮設にても炊き出しを行うことができた。小淵浜での炊き出しにおいては、仙台に拠点を構えるワンファミリー仙台やグリーンコープ連合など、NPO法人の数団体とともに、我が救援隊がイニシアをとり、コラボレーションして行うことができた。NPOの方は、当日、トラック3台に乗用車1台、8名ものスタッフを派遣してくださり、冬服の無料配布を実施してくれた。非常にキメの細かい配布で、男物、女物、子供服、サイズ、ごとにハンガーラックにかけてあり、下着、小物、使い捨てカイロまでもが陳列してあり、数百名の被災者がゆっくりと選んで持っていけるように、整理券を配り、入れ替わりのたびに随時補充するといった、徹底した平等さで、被災者の方の笑顔も耐えなかった。非常に印象的だったのは、ある被災者の方が「炊き出しを食べてから、服をもらうか、服をもらってから炊き出しを食べるか悩んでいるの」と言われたので「食べてから、服をもらいに行って、また戻ってきて、もう一度食べてもいいですよ」と言うと、非常に喜んでくださるという場面もあった。
また、同じ牡鹿半島にある、小網倉浜仮設での炊き出し当日は、雨風が激しく、屋外でできるような状況ではなかった。炊き出し断念の決断を迫られているとき、仮設の集会所から数名のご夫人が顔を出し「あら、大阪のボランティアのお兄ちやんたちじやない?」と言われ、よく見ると、今までに何度も訪れていた孤立のご婦人や、顔見知りのご夫人であった。「どうしたの?」と聞かれたので「炊き出しをしたかったのだが、この暴風雨では、どうすることもできない」と言うと、ご婦人方は「炊き出し?私たちのために?本当に?」と何度も聞きなおし、「この集会所を使いなさい!あなたたちなら大歓迎よ!ボランティア本部にも、私たちから言ってきてあげるわ!準備は何時から?広報は私たちが引き受けるわ!」と言って、即決で集会所を使わせていただけることになった。
ここの仮設の方は、元々同じ地域の方だけが入っておられるので、非常に連帯感があり、近所の人を思いやるなど、仲の良さが伺える。さて、牡鹿半島の、小渕浜を越えた先には、十八成浜(くぐなりはま)、鮎川浜と続くのであるが、鮎川浜に牡鹿公民館がある。その牡鹿公民館に隣接して、「おしかのれん街」という、プレハブの商店街がオープンした。この商店街は、非営利法人のボランティアが提供したプレハブで、2棟16店舗で構成されており、復興の第一歩として、地域住民(牡鹿半島)から注目されている。その商店街の中に、いしもりさんという魚屋が入っているのだが、実はこの魚屋さん、今までに「夏祭り」などで、色々とお世話になっている民宿「めぐろ」にて、震災当日まで料理長をつとめていた方であった。このように、復興の第一歩を目の当たりにすると、非常に嬉しくなり、次の日の炊き出し前に、皆で花を買って持って行くと、いしもりさんも非常に喜ばれ、貧相な花であったが、一番良い場所に飾ってくださった。牡鹿半島に限らず、被災地は、右を見ても左を見ても、仮設住宅、仮設住宅、仮設住宅である。この人たちは、この先、一体どうなるのか。「ありがとうね。あんたたちから元気をもらって、私たちも頑張るから!」と、気丈に振る舞われる被災者を見ていると、本当に胸が痛くなる。あと何回、被災者のために尽くすことができるのか。何回、話しを聞いてあげることができるのか。限界はあるが、残された期間、全力を捧げたいと思う。教区の先生方、信奉者の皆様には、いつもいつも本当にありがとうございます。皆様のお祈り添えを賜わり、第13次災害派遣も、事故、怪我なく無事に終えさせていただくことができました。本当にありがとうございます。