■第十二次災害派遣活動報告書
2011年10月23日(日)~10月31日(月)
◎全体を通して
今回、牡鹿半島・小渕浜を訪問すると、ワカメの種付け作業の真っ最中であった。太いロープと細いロープを使い、そのロープの合間にワカメの種を植えていく、根気のかかる作業であるが、震災以降始めての仕事ということもあり、村人総出で、生き生きと作業をしていた。人手がいるということもあり、トヨタ自動車、オンザロード、ピースボートなど、ボランティア団体のスタッフもかなりの人数が作業を手伝っていた。
そんな中、このたびの派遣では、震災以降ずっと隊員が願っていた、金光教大阪災害救援隊、単独での炊き出しを行うことが出来た。しかし、炊き出し場所の最有力候補であった小渕浜周辺は、上述のように、わかめの種付け作業の真っ只中で、仮設住宅にはほとんど人が居ないという情報が初日に入る。急速、地元の漁師さんたちに相談をし、作業をしている浜辺での炊き出しをしようかと悩んでいたとき、顔見知りの漁師が「今、調べてやつから!」と言って、どこかに電話をかけてくれた。そして、「明日はわかめは、やらないから、仮設での炊き出しで大丈夫だよ。俺も行くからよ」と言ってくれた。調べてくれたのは、風の情報で、風が強く吹く日は種付け作業は中止するとのことであった。
そして、予定通り、「おぜんざい」の炊き出しを行うことができた。しかし、「おぜんざい」と言っても、豆の煮方もわからない私たちは、インターネットからの情報や、本屋にて立ち読みをして記憶してきた内容、先輩の先生からのアドバイスなど、皆で意見を出し合った結果、非常においしい「おぜんざい」が出来上がった。これには仮設住宅に住む皆さんにも、「おいしい」と、非常に喜んでいただくことが出来、風が強く、寒い日であったが、参加者100名以上、250食準備した「おぜんざい」は全てなくなった。
また、ボランティアに来ていた他団体(宮城県社会福祉協議会、ピースボート、オンザロード)のスタッフにも振る舞ってあげることができた。岩手県の田老地区においても、3ヶ所において炊き出しを行うことができた。なかでも、一番多くの孤立が集まる集落では、仮設住宅に入っている方と、孤立に暮らす方が同じ席になった。しばらく様子を見ていたのだが、全く会話もなく、元々、隣近所に暮らしていた方同士に、溝が生じている状況を目の当たりにした。これはまずいと思い、間に割って入って私たちスタッフが座り、「そう、仮設住宅ではこんな不自由があるのですね」、「へえ、家が残った方も大変苦労をされたのですね」と、間を取り持っていると、次第に、仮設の方と孤立の方が話し合いだし、最後には「じや、○○さん、またね。お元気でね!」などと、少し、溝が埋まったように感じた。このような働きが出来たのも、我々宗教者ならでは、そして、この活動ならではのことではなかったかと非常に良かったと思う。
炊き出しが可能ということと、これから寒くなり、それぞれの住民が顔を合わせる機会が少なくなるということを考えると、このように、みんなが集ってワイワイと話をしながら、ホッとできる場の提供、そして、おいしくて、身も心も温まるような場の提供は今の時期に非常に合ったボランティアの形ではないかと思う。
さらに、このたびは、震災後初めて、福島県を訪問することができた。福島県は、地震、津波に加えて、原発の放射能問題による三重苦の被害に遭っている。残念ながら、交通網の規制や様々な状況が許さなかったため、これまではなかなか行くことができなかったが、ついに訪問することができた。福島県の5教会(福島県は7教会あるが、兼務教会が2教会あるので、実質は5教会)を訪問したのであるが、どちらの教会も気丈に振る舞われていた。なかでも、岩代郡山教会の橋長先生は、お礼状の中に「今後数十年、この放射能と闘っていかねばならない。しかし、こんなときだからこそ、宗教者としての目を持って切り込んでいきたい」と綴られている。いわき教会の鈴木先生は、震災後、大阪災害救援隊発足の情報を得るとすぐに、中近畿教区の先輩の先生を通じて「何か出来ることがあれば、私も被災地に行ってご用をさせていただきたい」と、自らも三重苦の被害に遭っておられるにもかかわらず、救援隊の活動にご志願くださっていた。
本当に、福島の方は心が強い。福島県(会津地方)には「什の徒」というものがあると聞いたことがある。小さい子どものうちから守ってきたきまり。その最後には「ならぬことはならぬものです」とある。様々な意味合いにとれる言葉であるが、福島の人と触れ合うと、このような教えを受けて形成される道徳、倫理観、礼儀、敬う心など、人として、常にどのようにあるべきなのかを、子どものうちから学んできたに違いないと思った。私たちも、非常に感銘を受けた。実際は、どこの教会においても、塀が崩れたり、それぞれに被災をなさっておられるが、私たちが今後、福島県に足しげく通う可能性は少ないとは思う。しかし、依頼があったり、お手伝いできることがあれば、何でもさせていただきたいと思う。
以上、第12次災害派遣の報告といたします。教区の皆様には、お祈り添えを賜り、暖かいご支援をいただき、事故や怪我もなく、今回も無事に活動をさせていただくことができました。本当にありがとうございます。