紀南方面・派遣報告

■紀南方面・派遣報告
【台風12号に伴う被災状況】
平成23年9月6日(火)~8日(木)

大阪を出発白浜を通過白浜町富田周辺に到着
このあたりから、様相が一変し、川が氾濫して大木がいたるところに打ち上げられている様子。床上・床下浸水をした家の方は、泥かきをしている姿が見受けられる。
周参見教会に到着すさみ町内では、床上・床下浸水の被害が出ているが、教会自体には被害なし。信奉者宅で、連絡のとれていないところあり。
串本教会に到着特に大きな被害はないが、台風の影響で雨漏りがしている。教会長夫人のご実家が十津川村であるとのことで、連絡がとれず、非常に心配である。
下里教会に到着台風による直接の被害はないが、断水で困っている。この地域も、教会以外の場所では浸水の被害あり。
勝浦教会に到着教会内、5~6箇所、雨漏り。屋根のトタンがめくれた。断水。町内はひどく浸水をしているところもある。町内間では電話も通じない。
南紀教会到着教会のすぐそばまで水がきたが、教会には被害なし。ただし、町内では、住民が危機を感じているのか、ピリピリと殺気立った感じがあり、車の運転も危なくなってきているように思えるとのこと。私たちが到着のタイミングで、北山教会より大阪センターへ無事を知らせる電話が入った。
新宮教会到着被害は特になし。
熊野教会到着腰のあたりまで浸水し、広前、教職舎とも水に浸かっている。広前は畳も全て外に出してあり、玄関外にあるトイレも完全に水に浸かって使用不可。教職舎も水に浸かり、非常にお困りであった。微力ながら、少し作業のお手伝いをさせていただいた。冷蔵庫、食器棚、などの家財道具も残念ながら、使用出来ない状態になっていた。
南牟婁教会到着直接の被害はなかったが、教会の裏が一段下がっており、そこの住民は浸水時は、ボートでしか移動できなかったとのことであった。ホームセンターにて物資の買出し(デッキプラシや土嚢袋など)
再び熊野教会に到着購入した物資を持参する。
被災の少ない串本に戻り、夕食串本の宿舎に到着
地図を持ってのミーティング。北山・十津川のルートを探る。就寝

【9月7日】
宿舎をチェックアウトスーパーオークワの売り場に並び、物資の買出し中近畿教区管内の先生より連絡をいただき、北山進入経路の有力な情報をいただく北山を目指すも、34号線他、いろんな道は寸断されていて、最終的に、国道309号線→国道169号線→県道229号線のコースで12時頃、北山教会に無事到着することができた。音信不通で心配していたが、教会も教会家族も無事で安心した。
十津川教会に到着教会や教会家族には直接の被害なし。震災以降、全く連絡がとれていなかったので、本当に安心した。ただし、上流の自然ダムが決壊したら、十津川村自体が濁流にのまれてしまう可能性があると聞き、ただただ雨が降らないことを祈るしかなかった。
※詳細は最後の「◎全体を通して」のところに記載
スーパーなどをまわり、物資の調達勝浦の宿舎に到着
宿舎では、報道の方などが、あちこちで、大きな地図を広げ、聞くと、十津川に行くための道を探っているとのことであった。何日も前から来ているが、未だ、十津川にたどり着けないということであった。
ミーティング就寝

【9月8日】
宿舎を出発スーパーにて物資の購入十津川教会に到着
※詳細は最後の「◎全体を通して」のところに記載
大阪センター到着
◎全体を通して
東北の被災地から帰る道中、台風が近畿地方を直撃していた。中近畿教区管内が被災している。死者、行方不明者合わせて100名以上!?と、次々と入ってくる情報に、耳を疑った。金光教大阪災害救援隊の隊員として、一番に名乗りをあげたいとは、先の金光新聞に寄稿したばかりである。東北から帰って、中二日という日程で、上司や同僚にはたくさん心配をかけたが、本当にありがたいご用を今回もいただくことができた。
しかし、いち早く行動に移せたというのも、東日本大震災をきっかけに組織された金光教大阪災害救援隊があってこそであった。隊員の動きももちろん早い。資金の調達、レンタカー(四駆)の手配、宿泊の手配など、あっと言う間に揃えて背中を押してもらい、派遣が決まった明朝には大阪を発つことができた。
さて、被災地の様子はというと、白浜を越えたあたりから様相は一変する。川が氾濫した形跡があちこちに見受けられ、大木が道路にまで打ち寄せている。かなり高い橋の上にも土砂が流れ込んだ形跡がある。床上・床下浸水の被害に遭い、住宅やコンビニで泥かきをしている方が多く見受けられた。串本より南の地域では、断水をしている。水や食料も、スーパーやコンビニからは消えて無くなっていた。東北の被災地で学んできた。第一次的に必要になる物資は、水などの食料である。出発の前夜に、水を大量に購入していてよかった。
6日には、周参見教会、串本教会、下里教会、勝浦教会、南紀教会、新宮教会、熊野教会、南牟婁教会を訪問することができた。熊野教会は残念ながら浸水の被害に遭ってしまったが、親先生も若先生も、教会家族の方もご無事で、本当に嬉しかった。
7日には、北山教会、十津川教会を訪問することができた。北山教会には、3度目のアタック(道路通行止めのため、通ることができる道を探しまわった)で無事にたどり着くことが出来たが、十津川に向かう道は、ことごとく崩落し、電柱は倒壊、何とか通れる道も、山から出てくる水で川みたいになっていたりした。通行止めばかりで、チャレンジしては引き返しの繰り返しであった。最終的に、旧国道なのか県道なのかわからない、カーナビゲーションにも出てこない道を進んでいると、地元の方らしき人の車があった。道はそこで二股に分かれており、「この道は進めるのか?」と訪ねると、「片方の道は崩落して通れない。どこまで行きたいのか?」と聞かれた。「金光教十津川教会です」と答えたら、「私たちのための救援活動、本当にありがとう。もしかしたら行けるかもしれない。途中まで案内して、一緒に行ってあげるから」と言って、普段は地元の方しか通らないような道を案内してくれた。おそらく、国道169号線→北山方面→神下→玉置山方面であったかと思う。結果、途中の山が崩れていて、ブルドーザーのお世話になったり、川のようになった道を進んだり、半分落ちている道を通ったりと、非常に険しい道であったが、最終的に十津川教会にたどり着くことが出来た。教会には特に被害はなく、原田先生は行方不明者の捜索、奥様は捜索者の炊き出しなど、地域のご用をされておられた。しかし、教会の近辺も、上流に出来た自然のダムが決壊すれば、ひとたまりもないような状況にあると教えられ、とにかく、これ以上、雨が降らないようにと願うしかなかった。
また、教会の下流には、倒壊して川に流されそうなお宅も確認した。物資も大丈夫ですと、気丈に振る舞われたが、報道でもご覧になられたように、大丈夫なはずもなく、自衛隊の空からの物資援助では足りていないであろうと、救援隊本隊と相談し、もう一日滞在を延期し、物資の供給をすることに決めた。
8日には、もう一度十津川教会を訪れ、帰阪の途についた。金光教大阪災害救援隊の本部が置かれる中近畿教区管内で災害が起こったことに、非常に無念さを感じるのであるが、上述したように、なんとしても、人の助かりを願って行動するところに、また、全教の祈りが込められた活動に、十津川までの道が開けたのではないかと思う。あとで考えても、あそこに人が居て案内をしてくれたということに、神様のお力添えを感じずにはいられない。以上、簡単ではありますが、災害派遣報告とさせていただきます。