第八次災害派遣活動

■第八次災害派遣活動報告書
2011年7月22日(金)~29日(金)
◎全体を通して
前々より、救援隊員間で願っていたことがあった。それは、被災者に一時でも安らいでいただくため、「夏祭り」をプレゼントできないか?ということであった。そのことについて、牡鹿半島の小渕浜地区というところで規模的に適当な民宿を探すことができた。この地区は、第3次派遣時より何度も通っていて、村人のほとんどの方とは顔見知りになっており、私たちの顔を見るだけで「あっ!大阪のお兄さんだ!」と言われるほどになってきた地区である。その中でも、現在23名の方の避難を受け入れている民宿「めぐろ」は、64畳敷きで舞台付きの宴会場を完備しており、前にある駐車場は、車が数十台も駐車できるスペースを完備している。隊長や隊員と相談した結果であるが、その民宿「めぐろ」を会場にして「被災地夏祭り」を企画することとなった。そして、今回は、その民宿の大将と女将さんを交えて、企画について話し合いの場を持つことができた。被災地での「夏祭り」の話を切り出すと、大将と女将さんは、「震災以降、みんなが辛い思いをしてきたので、とても嬉しい」と言って喜んでくれた。また、7月末で被災者は全員、仮設住宅に移るということで、「夏祭り」の予定の8月29日は、ちょうど仮設住宅に移って1ヶ月後の時期にあたり、みんなストレスが溜まってくる頃だから、なおさらに嬉しいと言って、場所を貸すことを快諾してくれた。今後、準備を進めていきたい。そして、今回の派遣では、初めて仮設住宅を訪問することが出来、中の様子を伺うことができた。旧唐桑町で2階部分が流され、何ケ月もの間、その2階部分にお住まいであった、Tさん宅であるが、仮設住宅が当選したとのことで、気仙沼市にある仮設住宅を訪ねた。ずっと家に居た息子さんは、名古屋に仕事を探しに行っているということであったが、いつものご主人がおられ、現地では扇風機が売り切れていることや、仮設住宅での不自由な暮らしについてなど、色々と話を伺った。少しその仮設を覗いたが、4畳半2間の狭いところに、家族4人が暮らしており、本当に不自由な暮らしを強いられていることがうかがえた。
また、別の場所では、仮設住宅に移ったが、することもないので、元にあった自分の家に帰って、呆然としている方に出会い、話を聞くと、「こんなことなら、津波に流されて死んでしまったらよかった。早く死にたい」と言って泣いておられたので、「今度、お鰻頭を持って、仮設を訪ねるから元気を出して!」と隊員全員で励ますと、非常に元気が出たようで、「必ず来てね!絶対だよ!」と、嬉しそうにしてくださった。次回、その方の仮設を訪ねたい。
また、今回は、復興が1ヶ月半遅れているという情報を得たので、たくさんの物資を持って、岩手県にまで足を伸ばした。何度もテレビで見られたり、一度は聞いたことがあるかと思いますが、釜石・大槌・山田・宮古・田老という町まで、救援活動に行くことができた。状況は非常に悪く、町は壊滅状態、未だご遺体の捜索活動も警察が行っていた。場所によっては、第一次的な物資の供給もまだ行えていないという悲惨なところもあった。なかでも、宮古、田老という町は、昭和8年の三陸大津波で一度町が壊滅したということで、津波に備えて高さ10メートル、日本一のスーパー堤防が備え付けてあった。村の放送では、当初、津波の高さは3メートルとの予想であったそうで、たくさんの方が、津波を見ようと、そのスーパー堤防の上に居たそうである。しかし、津波の高さは予想を遥かに超え、19メートルもの高さでその地区を壊滅させてしまったそうである。津波が近づくと、「逃げろ!」と誰かが叫んだのを合図に、みんなが走って逃げたそうであるが、200名以上の方が逃げ遅れたとのことであった。
この宮古、田老という町は、村のあちこちに、花が手向けてあった。また、この地区は、行政の手が行き届いておらず、物資の配給もない。買い物はどこでするのかとたずねたところ、片道500円のバスに乗って、よその町に買い物に行くそうである。孤立した住民やお年寄りは、悲惨な生活を強いられている。また、非常に治安が悪化しており、家の玄関に金属バットを置いたりして、住民が警戒をしていた。
今後、仙台の拠点からは少し遠いが、岩手県の救援にも力を入れていきたい。また今回は、2度目の女性隊員の参加もあり、女性隊員に少し、感想を聞いてみた。初参加の女性隊員は、被災地に降り立ったとき、ショックで言葉を失ったが、これを現実と受けとめ、少しでも被災者のためにお役に立ちたいと思った。今後も参加して、先輩の先生からはいろんなことを学び、自身も努力をして、被災地の復興に携わりたい。
また、2度目の参加となる隊員からは、「大阪から……」と、こちらが名乗らなくても、私たちの顔を見ただけで、笑顔で近づいてきてくれる姿が非常に印象的でした。そして、「また、必ず来てね」と、どちらの方も言ってくださいました。2度目の参加になりますが、少しでも被災者の方に寄り添いたいと、改めて思いました。そのためには、1度、2度ではなく、何度も何度も足を運び、よりたくさんの被災者の方とふれあい、少しでも被災者の方の心が安らぐような働きをできればと思っています。