能登半島第27次派遣(20250328-0331)

派遣報告書

○能登半島地震第27次派遣(20250328-0331)

◎全体をとおして(26次,27次派遣)

大阪では梅の花が咲き春がやってきた。能登半島も少しは寒さも和らいできたのではないかと思っていたが、都会的な考えは通じなかった。
 能登の被災地はまだまだ凍てつく寒さで、道路にも雪が残り毎日雪が降った。
 昨年12月、豪雨災害の支援でこの地を訪れ、ちょうどその日はカフェを行っていた。他のボランティア団体を卑下するわけでは決してないが、被災地でカフェを行っている団体はだいたいが参加者も少なく10人も参加したら喜んで帰っていく。
 水害後、リクエストがあったので私たちもカフェを行った。
 「炊き出し日本一」と言われるだけあって、私たちのカフェは初日から45名の参加者があり大賑わいを見せるのであったが、その準備中に後ろから声をかけられた。
 「こんにちはー」
今、一番忙しい時間なのにと思いながら振り返ると、そこには懐かしい顔があった。下谷教会の菱田正樹先生であった。
 聞くと、9月の「能登水害」の後、この浦上地区で泥かきのボランティアを行っていたとのこと。今は「一般社団法人・ひかりプロジェクト」の構成員として支援活動に従事していることが分かった。
 彼は言うまでもなく、この「金光教大阪災害救援隊」を創設したメンバーの一人であり、当時の絶対的エースであった。東日本大震災の支援活動が落ち着いてきたころ、多様な活動をするために隊を離れていた。
 私は驚いたが、「あなたの席を空けて待っているのだから早く戻ってきなさい」というと、「前向きに検討します」とのことで隊への復帰が決まった。
 救援隊は、豪雪や猛暑はもちろんのこと、暴風雨などの厳しい環境に身を置き、激しい作業をこなさねばならず、それゆえに人の出入りが非常に激しい。最初は救援隊の精神に心酔して参加される方が多いが、どうしても体力的な部分で参加が難しくなる。
久しぶりに菱田隊員と一緒に活動をするなかで、やっぱり誰よりも輝く素質を見せつけられた。10年間隊を離れていたが、決してその間サボっていなかったことがよくわかる。パワーアップして帰ってきてくれたことに感謝したい。
救援隊はいつもそうで、「あと一人足りない。あと一人、、、」というところで必ず人が現れる。これは絶対に神様からの「お差し向け」と信仰的に考えずにはいられない。
 大量の揚げ物があったこの回も、菱田隊員合流によりハイスピードで炊き出しは完成し、撤収後片付けまで終えて金沢に20時前に着くことが出来た。早いだけが良いことでは決してないが、とにかく作業が奇麗で調理が終わった後にゴミひとつ落ちていないのが彼の凄みである。
そして被災者の方々には大変喜んでいただき、一日中雪が降って寒いなか早い方は30分以上前から並んでくださり、「ちょっと早く来過ぎたか?」とみんなで大笑いする。いかに皆さんが楽しみにしてくれているかがわかる。
このたびの派遣で私の印象に残ったのは、ある年配の女性が炊き出しを受け取ったあと、私の耳元で「すごく楽しみにしていて本当に嬉しい。ありがとう」と涙を溜めておっしゃった。
何気ない光景に思えるが、震災や水害からここまでものすごく苦労をされて今日まで頑張って来られたんだろうな。そしてこの活動が少しでもこの方の心を支えることが出来ていると思うと私も胸が熱くなり、これからも頑張って少しでもお役に立たせていただきたいと改めて思った。
このたびも能登の被災者の方々からは喜ばれ、良いご用となりました。
これから暖かくなり、少しはやり易くなると思いますが、気を抜かず被災者の方々に寄り添って一緒に前に進んでまいりたいと思います。
以上、3月度「能登半島地震・能登豪雨」の活動報告とさせていただきます。
ご支援をくださっている皆様には、いつも暖かい励ましのお言葉やたくさんのご支援をいただきありがとうございます。また赤い羽根共同募金(ボラサポ)の支援も受けて活動をさせていただいております。
引き続きご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
(文責・竹内真治)