○東北43次派遣(20250306-0312)
◎全体をとおして
東日本大震災から14年を迎え、このたびで派遣回数も35回目となった。
今年の東北は、能登派遣で聞いたこととは逆の「今年はカマキリが低いところに卵を産んだから雪は少ない」と仰る方があり、その通りに例年よりも雪が少なくて楽だったと皆さん喜ばれていたが、高齢で施設に入られた方も何名かおられ、町もだんだんと寂しくなってきた。
各地でいろんな話を聴いてまわり、14年間忘れずに通い続ける救援隊員の姿に心を打たれる方が多く、やはりこれが布教の原点のようなものを感じている。
3.11の日は、ずっと通い続けた小渕浜を訪れて懐かしい話に花が咲いた。
2時46分のサイレンが鳴る時は被災者宅のリビングに居り、被災者の家族と黙とうを捧げた。目の前にはたくさんのご馳走が並んでいた。私たちが来ることを見越して準備してくださっていた。14年という年月が帰省する家族のような気持ちにならせてくれる。
しかし14年経ち、漁師としてバリバリ働いていた方々もだんだんとゆっくりペースになり、足腰が弱ってきたことや入院した話、手術を受けた話が多くなってきた。
それでもあの日を思い出しては涙をこぼされ、「やっぱりあの時来てくれて嬉しかった」「助けられた」と言ってくださる。
そしてこの日だけは日本中のテレビなどでは「東日本大震災」特集が放送されたりするが、被災者宅でついていたテレビを眺めていると、2時46分の黙とうの数分後には「お笑い番組」に切り替わっていた。
今回の訪問ではある地域での出来事を伺った。
海から1.5キロ離れた地域にあった幼稚園の園児が送迎バスごと津波に巻き込まれた。園児4人が死亡し4人が行方不明。職員1人も亡くなった。
聞いたところによると、地震の直後、建物の中は危ないからと職員と園児らは2台のバスに分乗し、出発するところを津波が襲った。
一台のバスは園内のブロック塀に引っ掛かって止まり、もう一台のバスは園から数百メートル離れた場所まで流された。
濁流にのまれた車内は天井近くまで水位が上がったが、職員は必死に泳いでバスの屋根に園児らを引き上げた。
バスの中に浮いている子を引っ張り上げて外に出すのが精いっぱいで、濁流の中の子は既に見えなかった。それでも手で水中を探って感触のあった2人をリュックや服をつかんで外に出したという。
波が引いた瞬間に避難をしたが、園児7人が行方不明となり、そのうち3人が遺体で発見され4人はまだ見つかっておらず、懸命に救助にあたった職員一人も救助に力尽きて亡くなった。
この話を聞いたとき、涙が止まらなかった。助かった子どももどれほど怖かったであろうか。亡くなった子どもは最後にどう思ったであろうか。親の気持ちを考えるだけでも聞いているこちらも精神に支障をきたしそうになる。
あれから14年経って、この時子どもを失った親も、被災した方々も気持ちの上で少しは復興してきたかもしれないが、心の傷は絶対に消えることはない。
本当に悲惨なことがこの日本で起こったことを忘れてはいけないし、風化させてはならない。では自分たちに何が出来るのか。
共に助け合って生きていくこと。それから同じことを繰り返さないことが必要で、これは普段からの心構えと訓練で少しは回避できると思っている。
「いつまでやってるんだ」という声を聴くことがあるが、大学の教授や研究者が私たちに高い評価をしてくれているのは、災害弱者に陥ってしまった方々に手を差し伸べ続ける姿勢。それから、繰り返さないことに警鐘を鳴らし続ける「金光教大阪災害救援隊」であるからに違いないと思っている。
余談ではあるが、能登半島地震で炊き出しの際、一人の若者が学生グループを引き連れて私たちのテントまでやってきた。
名刺を差し出され、見ると「東北大学大学院博士課程」の肩書、災害を研究しているとのことで、「金光教さんがここで炊き出しをなさっていると聞いて、私たちで力になれることがあればと訪ねました」と言うが、私には初見の彼であったため、「私たちを知っているのか」と尋ねると、「実は私は東日本大震災の被災者でもあり、石巻で金光教さんの炊き出しをずっといただいて大変感謝しています。あの時の味も未だ忘れていません」と言ってくれた。
あれから14年経ち、ここで出会えると思っていなかったので私も驚いたが、災害の研究者になる過程で少しは私たちの活動がお役に立てたのかも知れないし、こういう若者が現れてくれて本当に嬉しかった。
水害の後で下水が詰まってどうしようもなかったので、ここを掃除してほしいと言うと、「わかりました」と言って、次回には綺麗に下水が流れるように掃除してくれていた。
また、「令和元年台風被害」宮城県丸森町役場では、私たちの担当をしてくださっていたみなさんは全員違う部署に栄転されておられたが、私たちの訪問を非常に喜んでくださり、深い絆で結ばれていることを改めて感じることができてありがたかった。
以上、「東日本大震災」第35次派遣、「令和元年台風被害」の活動報告とさせていただきます。
ご支援をくださっている皆様には、いつも暖かい励ましのお言葉やたくさんのご支援をいただきありがとうございます。
引き続きご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
(文責・竹内真治)