熊本地震第20次派遣、九州北部豪雨第6次派遣(2018/2/12~17)
◎全体をとおして
このたびは道中、大雪に見舞われた。高速道路も低速の規制のなか、ようやく福岡県にたどり着いたが、門司にて高速道路を降ろされ、そこからはひたすら一般道を走行し、熊本の仮設団地に到着する頃には日も暮れていた。
仮設住宅のみなさんは、我々を心配しつつも首を長くして待っていてくださった。
仮設住宅に到着すると、安永仮設三人娘(若い方)の一人、Hさんが仮設住宅を出たと伺った。190人の方が入居していた安永仮設が160人にまで減っていて驚いた。
ここまで、この仮設住宅の自治会長をはじめとする仮設住宅の世話係の方々が、何度も東日本大震災で被災した東北の被災地を訪問して参考にしてきた。そのたびに仮設住宅の中身が充実し、生活面が良くなっていて、東日本大震災の復興がひとつのモデルとなってきた。
「熊本地震」から2年を待たずして、この仮設住宅だけで30人もの方が退居されたことを聞いて、少し安心するとともに、主観的ではあるが復興のスピードが早いことに驚いた。
その理由はいくつかあると思うが、ひとつには、被害が津波ではなかったこと。もうひとつは、上記のように、東日本大震災から復興していく過程を参考にできたからではないかと思う。
しかし、早期に仮設住宅を出ていく人と、事情を抱えてなかなか出られない人との格差が生まれてくる時期でもある。先に出ることができた人と、ずっと残っている人の関係がギクシャクしてしまうのは、人間であるがゆえ仕方のないことかも知れない。
しかし、この先に仮設を退居したHさんの場合は違って、自転車に乗って私たちの炊き出しに駆けつけてくれて、いつものように手伝ってくださった。
「新しい家の整理や片付けもあるでしょうに、もうお手伝いは結構ですよ」とも申したが、Hさんは「いえ、あなたたちが来てくださる限り、私はここに通います。仮設の方にたとえ来るなと言われても来ます」と冗談交じりに言ってくださり、非常にありがたかった。私たちの活動がこの方たちの心を支える一つの柱であることに喜びを感じている。
そして、今回は、ずっと手伝ってくれていた阪大生が3名、卒業を迎えることになった。一名は東京大学の大学院に進むことが決まり、その準備で今回は参加できなかった。もう一人は参加予定であったがインフルエンザにかかり、急遽キャンセルとなった。そしてもう一人、このたびは武内真里奈氏のことを紹介したい。
前々から報告書にも記してきたが、彼女は大阪大学を卒業後、有名企業に就職が決まっている。また、前回の報告書にも記したが、卒業論文の提出期限ギリギリの大事な時期に「最初は研究のことばかり頭にありましたが、この活動は人として大切な活動ですから」と言って参加してくれた彼女である。
非常に優秀で、活動のなかでは“一を聞いて十を知る”ということをずっと地でやってきてくれて助かった。
このたびの派遣で全行程一緒に活動するのは最後になるが、彼女の願いというものがあって、それは、有名企業に就職が決まったが、最初の配属地が全国のどこの支店勤務になるかわからなかった。そして、ずっと九州に配属になってほしいという相談を受けていた。
本人は、おそらく埼玉とか、群馬とか、手薄になっている関東かもしれないと言っていたが、蓋をあけてみると博多に配属されたそうで、一番に電話がかかってきた。
電話口では、「先生!博多に決まりました!先生方が九州に来られるときには休みを合わせますので、これからもぜひともご一緒させてください。また熊本の方々の支援がしたいです」と言ってくださった。
宗教者でもない、まして金光教の教えを受けるものでもない、一般の一人の人間が、人を助けたいという一心で、こうやって希望通りのおかげをいただかれていく。金光教の活動のなかで育ち巣立っていく。ありがたい姿を目の当たりにした。
彼女の卒業論文には、謝辞に、金光教、私たちへの感謝の気持ちが実名を添えて書いてあった。論文の贈呈式も仮設住宅の皆さんとのお別れ会のなかで行うこともでき、仮設住宅の皆さんからは、“感謝の受領証”が贈られた。
それは、「暑い夏の日も、寒い冬の日も、雨の日も風の日も、表に立って調理をしてくださり、、、、」という内容のものであったが、読み上げるK氏は涙で声を詰まらせられた。ずらっと並んだ仮設住民の方々も、私たちスタッフも皆同様に、胸が一杯になり、ハンカチが必要であった。
日本の未来を背負って立つ若者が金光教の教えに触れて社会に出ていくことが本当にありがたいと思う。
また、自分が卒業していくなかで、隊のことまでも心配してくれ、後を託せる後輩を紹介してくださったりと、責任感という意味合いにおいても頼りになり、本当にありがたく思う。
時間を経て、仮設住宅を出ていかれる方もあるが、被災地の状況は目に見えて良くなっているとも思えない。
また、九州北部豪雨によって被災した大分県・大鶴地区の避難者の方々とも関係が出来つつあり、そちらのことも非常に気になる。私たちには、その被災した方々を見守っていく義務もあると思う。
いつまで被災者に寄り添うことが出来るのか、どこまで被災地の復興を見届けることが出来るのか、とにかく出来る限りの精一杯を捧げたいという気持ちに変わりはない。
以上、第20次「熊本地震」、第6次「九州豪雨」における活動報告とさせていただきます。
教区の先生方をはじめ、信奉者のみなさまには、いつも心温まる励ましのお言葉や、たくさんのご支援、お祈り添えをいただき、このたびも事故や怪我なく活動を終えさせていただくことができました。ありがとうございました。
このうえとも、お祈り添えを賜りますよう、なにとぞよろしくお願い申し上げます。