第十九次災害派遣活動
2012年5月10日(木)~5月18日(金)
今回、大阪教会より第二次隊として、大阪教会大祭の翌日から、白神信幸先生はじめ5名の隊員がたくさんの支援物資を持って現地に駆けつけてくださった。
白神先生には、ひたすらネギを切ってもらうような作業をしていただいたり、率先して炊事場の排水溝の掃除をしてくださったりと、非常にもったいないことであったが、そのご姿勢を見た隊員は、非常に志気が上がり、フルスピードで炊き出しの準備などが出来、いつもは炊き出しが始まっても準備に追われて大変バタバタするが、なんと炊き出し開始の30分前には、準備が全て終わるようなことであった。
また、大阪教会より参加してくださった白神信君(8歳)は、被災者はもちろんであるが、可愛らしいキャラクターで、疲れた隊員の癒しにもなってくれた。
そして今回は、寒い冬の時期からずっと切望されていた「暖かくなったらまた炊き出しをしてほしい」とのリクエストに応えて、岩手県宮古市田老町にて炊き出しを行なうことが出来た。仮設住宅の集会所ではなく、ガレキを撤去した跡地での炊き出しである。
作った救援隊名物の「焼肉丼」は、散り散りバラバラになった孤立集落に配ってまわった。
「焼肉丼」と支援物資を持って訪ねてまわると、田老町の住民は非常に喜び、雨が降っていたが、私たちが見えなくなるまで手を振って見送ってくださるということもあった。
そんななか、あるお宅を訪ねると、いつものように非常に喜ばれたのであるが、そのご婦人は、私に言いたいことがあると言って話し出した。以下その一部分。
「田老町のスーパー防潮堤(日本一とも謳われた防潮堤、高さ10メートル、幅2500メートルのもの)が、4メートル70センチかさ上げすることに決まったのです。この地区の住民(防潮堤の内側は元々住宅街であった)は、ほぼ全員、家を失って仮設住宅に住んでいます。そして、家を失った住民のうちの30軒の方が行政に対し、元あった場所に再度家を建てたいと申請をしたら、それが行政から認められたのです。まさか許可が下りるとは思ってもいなかった住民は、我も我もと言い出し、現在100軒の方が申請をしており、その数も増え続けています。それを見た私は耐えきれず、行政に直訴したのです。しかし、全く取り合ってもらえず、その帰り道、悔しくて悔しくて、落胆しながら、とぼとぼと歩いていると、『田老町を良くする会(若者集まれ!)』と書かれた看板を目にしたのです。入ってみようかと思ったのですが、私は70も近い年齢で、若者ではないですし、一旦はあきらめて、そこを通り過ぎたのです。しかし、通り過ぎて歩いているときに、大阪からいつも来てくれるあなたたちのことを思い出したんです。『そう、大阪のボランティアの人たちは、遠いところ、一生懸命、暑い夏の日には汗をかきながら、寒い冬の日には膝まで雪にうもれ、頭に雪を積もらせながら、私たちを元気づけるために、いつも笑顔で来てくれたではないか!』と思った瞬間、そこのドアをノックしていたのです。そして、個人では行政が相手にしてくれなかったこと、住民が同じ過ちを繰り返そうとしていることなどを熱心に語ったら、それではぜひ、発表をしてくださいと言ってもらえた」
と語り、私は、行政にこのように訴えるつもりです。と言って、一枚の紙を私に見せてくださった。
紙には、
「私は、声を大きくして言います。昨年の3月11日、大津波がきたとき、田老町のスーパー防潮堤の内側に居た住民に対して、たくさんの消防隊や警察官が避難を促しました。高さ10メートルの防潮堤を過信して、たくさんの方が油断をしました。避難をしなかった方も多く居ます。しかし、実際に来た津波の高さは19メートルもあり、たくさんの住民や消防隊や警察官が犠牲になりました。同じ場所に家を建てるということは、同じ過ちを繰り返すということではないでしょうか。絶対に同じ過ちを繰り返してはいけない」
と書かれてあった。
私たちの活動が、遥か遠く岩手県の僻地にある町に届き、その町の住民の心の支えになっている。これを実感した瞬間でもあった。
また、3月の第17次災害派遣時に御霊祭りをしたSさんと手紙のやりとりがあり、その一文(抜粋)もここにご紹介します。
「竹内先生こんばんは。小渕浜のSです。丁寧な御手紙をいただき家族皆でありがたいのと感動とで胸がいっぱいでいました!いつもは先生初め金光教の皆さんが限られた時間の中で被災者みんなに笑顔で炊き出しや、暑い日も寒い日も物資等を一軒一軒歩いて配っていらっしゃって、長い時間話せないのでメールしようと思いました。お祓い(言葉があっているかわかりませんが)して頂けた事を凄く感謝しております。実は少し落ち着いて来た秋くらいから、意地汚い人を沢山見たせいか人ってなんだろうと、亡くなられた人よりも(霊)生きている人間の方がよっぽど恐い。(バトルロワイヤルの世界になってしまったのかと思う程)と思っていて、金光教の人達の無償の笑顔を見て私は救われていたと思います。宗教、宗派、又は無宗教、それぞれの人がいますが、信仰心を持つ心こそ大切で優しい人間になれるんだと、忘れかけてた心を取り戻す事が出来ました。ありがとうございます!!
意地悪な人を批判するのではなくて、まだ気付けなくて可哀想だなぁと思うようにしました。私も少しづつ勉強して、先生や金光教の人達のようになるまでは程遠いと思いますが、悲しんでいる人、苦しんでいる人の役に立てる人間になれるように頑張ってみます。
人は人の優しさに触れてしか立ち直れないのかなと、被災地に住んでいて感じています。いつも感情的ではなく理性的で冷静な判断が出来る人間になろうと私は思っています。
竹内先生、御手紙本当にありがとうございました!嬉しかったです。ご無理はなさらないで下さいね。竹内先生や金光教の方達のように高い波長の人達がいなくなったら日本や世界が大変ですので…生意気ですみませんm(__)m
でも、本当に思っている事です。
お身体を大事になさって下さい。皆さんによろしくお伝えお願いします。」
このような手紙のやり取りも行なえるようになってきた。
被災地では、ワカメの収穫時期が終わり、浜からは人が減って、また淋しい光景が広がっている。
あと何回行けるだろうか、あと何回、被災者の手を握ってあげられるだろうか。
いつも帰ってきても被災地、被災者のことが頭をよぎる。
その被災者を支えに、最後の最後まで救援活動に全力を注ぎたいと思う。
以上、簡単ではありますが、第19次災害派遣の報告といたします。
中近畿教区の先生方をはじめ、信奉者の皆様には、いつもお祈り添えを賜わり、暖かい励ましのお言葉や、数多のご支援をいただき、この度も事故や怪我もなく、無事に活動を終えさせていただくことができました。
ありがとうございました。